筧水堂也柳

『秋田蕨』



享保14年(1729年)、『秋田蕨』(也柳編)刊。仙里紅序。也柳自序。

也柳は支考の門人。秋田の自覚院修験。筧水堂。

出羽の奥なる秋田のなにがし也柳と聞えたるは、我師蓮二房と書通の友也。さるは蛍雪の功をつみて、十論為弁より文鑑といひ、文操(藻)といひ、大和詞のくまぐままで、其理を究(め)ずといふ所なし。しかるに今年みな月の半端に、都にさる事侍るとて、二百余里の暑(さ)をしのぎて、江の木の下よりはるばると、みのの国に尋(ね)来り、岐山の何尾主に便せられて、黄山に獅子庵をとぶらはむとす。其折から蓮二師は、例に疝痛にくるしみて、長良川の辺に病床を移し、針葉の時に逢(ひ)ぬるは。

   秋田の産物少(な)からずといへども、多くは商家の店
   に落(ち)て、価直物となれるは、貧僧が土産には成
   (り)難し。折ルにも買ふにもやすき物にして、しかも
   都人の煮しめにももてはやさると聞え(へ)たれば、

折かけて折やう習ふわらびかな
也柳

出替笠と見ゆる白菅
   高橋氏柳枝



早蕨や村に一二の嫁むすめ
伍良

   四季各

古池や蛙とび込む水の音


若葉つむ日は心せよ疝気腹
蓮二房

大名も牡丹にあそぶ薄着かな
里紅



   尾張国 名古屋連中

一声やばせをにひゞくほとゝぎす
巴静

雪隠に山を見晴すつゝじ哉
以之



   蚶潟にて

鴬や九十九森にひとつづつ
也柳

のごふ目に星残りけりほとゝぎす
   本庄英義

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