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芭蕉句碑は県内に二百余基もあるが、芭蕉前の名俳と称された松永貞徳句碑は、いま一つも残されていない。これほどたくさんの芭蕉碑がありながら、その前に一世を風靡した貞徳の句碑はなかったのである。芭蕉風がまだ上州に入らないころ、藤岡の桐淵貞山は貞徳の貞門派を唱えて貞字組をつくり育てた。この貞字組は近世後期まで伝えられて、伊勢崎の小此木紅碩が貞門八世を称した。その文政九年に島村前河原の俳人石川幽奇は、邸内に貞山の月見塚を築いた。 |
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この句碑の碑面は江戸の画家春木湖南の書で、この年八月に盛大な披露の祝宴が開かれている。上州にはただ一つの貞徳句碑であったが、いまは失われてしまった。
『佐波伊勢崎史帖』(しの木弘明著) |
