新年の旅日記
花敷温泉〜若山牧水の歌碑〜

大正11年(1922年)10月19日、若山牧水は花敷温泉へ。
溪向うもそゝり立つた岩の崖、うしろを仰げば更に膽も冷ゆべき斷崖がのしかゝつてゐる。崖から眞横にいろいろな灌木が枝を張つて生ひ出で、大方散りつくした紅葉がなほ僅かにその小枝に名殘をとゞめてゐる。それが一ひら二ひらと絶え間まなく我等の上に散つて來る。見れば其處に一二羽の樫鳥が遊んでゐるのであつた。
眞裸體になるとはしつつ覺束な此處の温泉に屋根の無ければ
折からや風吹きたちてはらはらと紅葉は散り來いで湯のなかに
樫鳥が踏みこぼす紅葉くれなゐに透きてぞ散り來わが見てあれば
二羽とのみ思ひしものを三羽四羽樫鳥ゐたりその紅葉の木に
夜に入ると思ひかけぬ烈しい木枯が吹き立つた。背戸の山木の騷ぐ音、雨戸のはためき、庭さきの瀬々のひゞき、枕もとに吊られた洋燈の燈影もたえずまたゝいて、眠り難い一夜であつた。
六合の里温泉郷
花敷温泉「花敷の湯」(HP)

十月二十日
未明に起き、洋燈の下で朝食をとり、まだ足もとのうす暗いうちに其處を立ち出でた。驚いたのはその、足もとに斑らに雪の落ちてゐることであつた。慌てゝ四邊(あたり)を見廻すと昨夜眠つた宿屋の裏の崖山が斑々として白い。更に遠くを見ると、漸く朝の光のさしそめたをちこちの峰から峰が眞白に輝いてゐる。
ひと夜寢てわが立ち出づる山かげのいで湯の村に雪降りにけり
起き出でて見るあかつきの裏山の紅葉の山に雪降りにけり
朝だちの足もと暗しせまりあふ峽間はざまの路にはだら雪積み
上野と越後の國のさかひなる峰の高きに雪降りにけり
はだらかに雪の見ゆるは檜の森の黒木の山に降れる故にぞ
檜の森の黒木の山にうすらかに降りぬる雪は寒げにし見ゆ
駐車場の片隅に若山牧水の歌碑があった。

花敷温泉「関晴館本館」にあった歌碑である。
ひと夜寝て
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わか立ち出つる
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山蔭の
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温泉の村に
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雪降りにけり
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新しい歌碑もあった。

樫鳥が
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踏みこぼす紅葉
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くれなゐに
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透きてぞ散り来
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わが見てあれば
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路地の奥に古い牧水の歌碑があった。
