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旧秋元別邸は、旧館林城の八幡郭(現つつじが岡第二公園)内に所在する和風の建物で、館林最後の城主秋元氏ゆかりの建物として親しまれてきた。 その名前から江戸時代の建物と想われがちであるが、明治43年(1910年)に館林城跡に移転した旧上毛モスリン株式会社によって建てられたもので、当初は同社専務取締役の杉村熊三郎の別荘であったという。 最後の城主秋元礼朝(ひろとも)は明治維新後、東京に移り住んだ。その跡を継いだ興朝・春朝は近代になっても館林との繋がりを深く持ち、大正7年(1918年)には三の丸土橋門を復元し、秋元文庫を館林町に創設している。また昭和5年(1930年)には東駿河台本邸から庭石などを移築している。 昭和36年(1961年)に秋元順朝(なおとも)から群馬県へ土地・建物ともに売却され、つつじが岡第二公園として広く公開されるようになった。 |


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天文元年(1532年)赤井輝光により館林築城がなされ、江戸時代には榊原氏・松平氏・徳川氏・太田氏・井上氏から秋元氏へと10家23代に及ぶ330余年間親藩、譜代の城下町として栄えたところです。 弘化2年(1556年)山形より秋元氏が來封し、礼朝(ひろとも)の時明治維新を迎えました。 興朝(おきとも)・春朝(はるとも)・順朝(なおとも)へと続きますが、春朝は元来自然をこよなく愛した粹人で、村人からも親しまれたなかなかの好人物でした。この像は春朝が池に向かって投網し魚を獲るところで、建立は大正8年(1919年)です。毛利教武作。 |
