安藤広重画木曽街道六十九次の大湫宿の絵はここから東方を描いたものである |
大湫宿は中山道の47番目にあたるの宿場で、現在でも当時の町並みが残されており、幕末には将軍家に降嫁する皇女和宮が、道中宿泊されたことでも有名です。 |
道の左に立てる大きなる石二つあり。一つを烏帽子石という。高さ二丈ばかり巾は三丈に余れり。また母衣(ほろ)石というは高さはひとしけれど巾は是に倍せり。いずれもその名の形に似て、石のひまひまに松その外の草木生いたり。まことに目を驚かす見ものなり。
大田南畝『壬戍紀行』より |