昭和14年(1939年)8月30日、阿部内閣の陸軍大臣に就任。
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昭和16年(1941年)3月1日、支那派遣軍総司令官となる。
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昭和23年(1948年)11月12日、東京裁判で終身刑宣告。
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昭和29年(1954年)10月、仮釈放を受けて出所。
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昭和33年(1958年)4月、 赦免。7月、偕行社会長となる。
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昭和37年(1962年)5月10日、忠霊塔の除幕式最中に急死。
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偶々昭和三十七年五月十日棚倉町忠霊塔の除幕式に臨み祭文を捧して席に復し感激餘って忽焉星と化して昇る噫磐城の空に
昭和38年(1963年)5月10日、建立。陸軍大将鈴木孝雄書。
鈴木孝雄は内閣総理大臣鈴木貫太郎の弟である。
昭和2年(1927年)7月26日、陸軍大将。
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昭和13年(1938年)4月21日、第四代靖国神社宮司。
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昭和29年(1954年)4月、偕行社会長に就任。
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昭和39年(1964年)1月29日、薨去。
野田市の実相寺に墓がある。
追手門付近の紅葉

大ケヤキ

天然記念物
棚倉城跡の大ケヤキ
寛永2(1625)年に初代城主の丹羽五郎左衛門長重公が棚倉城を築城する以前からこの地に存在していたといわれ、近津明神の社木であり、樹齢は約600年に達するものと推定されています。この大ケヤキ県内でもまれに見るケヤキの大木であり、その風格はにおいては右に出るものはありません。
土塁を一周してみた。

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