2004年福 島

喜多方〜若喜商店〜
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猫魔温泉から国道459号で喜多方へ。


 喜多方と言えば喜多方ラーメンかも知れないが、ラーメンを食べるにはまだ早い。

 また喜多方は「みちのくの蔵のまち」として、その名を知られている。喜多方に多くの蔵が造られたきっかけのひとつは、明治13年(1880年)に起きた大火だそうだ。

若喜商店

 創業は宝暦5年(1755年)。初代が若松屋喜祖右衛門だったことから「若喜」の屋号がつきました。なお、喜祖右衛門は、隠居後に襲名する名前です。現在の当主は11代目。創業以来、醤油、味噌を造り続け、往時は大峠を越えて、山形市、福島市まで運んでいました。

醤油醸造所


 明治39年(1906年)10月23日、河東碧梧桐は会津若松から汽車で喜多方へ。

若松より汽車、喜多方昼飯。

   コスモスの冬近し人の猿袴


若喜商店の店舗


 若喜商店の店舗は昭和6年に完成。喜多方出身の故・本間嘉平氏(後に大成建設会長)が東京工業大学の卒業製作として設計した建物です。戦前は店舗でモダンな食料品を販売していましたが、戦時中の統制により閉鎖となり、戦後しばらくは富士銀行・喜多方支店としてつかわれました。現在のような店になったのは昭和30年以降のことです。2階には商工会議所がありました。

若喜商店の蔵座敷を無料で見学できる。

見学したら、若喜商店の店舗で醤油を買うことになった。

若喜商店の前には笹屋旅館があった。


笹屋旅館に喜多方蔵座敷美術館が併設されている。

 蔵座敷での竹久夢二の話は興味深いそうだが、話を聞いているわけにもいかない。

 清川商店は女性杜氏の酒造りで知られていて、ここの酒蔵も無料で見学できる。

見学したら、お土産にお酒を買うことになった。

喜多方の町を歩いていると、「会津嶺の国 愛の東歌」という案内板があった。

 昭和51年9月、秩父宮勢津子妃により、鶴ヶ城二の丸跡に万葉歌碑が建てられた。

会津嶺の国をさ遠み逢はなはば偲ひにせもと紐結ばさね

『万葉集』巻14(相聞)

秩父宮勢津子妃の御筆になるものである。

 会津嶺とは磐梯山であって、この会津からも遠く九州あたりまで防人として兵役につかせられた多くの青年がいたわけである。

 「会津嶺の国を遠く旅立って、お前とももう会えなくなってしまうことだろうが、せめて恋しいお前を偲ぶよすがにかたく下紐を結んでおくれ」という意味であろうか。

 紐を結ぶというのは、別れている間の貞節の誓いなのであって、会津という故郷を離れて遠くへ旅立つ男が、妻か恋人に呼びかけをしている愛の東歌である。

みどり結婚会館

河井継之助記念館へ。

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