千年のむかし、門司から小倉を経て戸畑にいたる一帯の海岸は、美しい松林のつづく白砂の浜であった。うち寄せる波の音、海風にゆらぐ風情は遠く都をはなれた旅びとたちの旅愁をそそり、歌ごころを誘い、万葉集に6首の名歌となってのこされた。 いまやたくましい発展途上にある北九州市の市民は、ここに万葉歌碑を建立して、古人の詩情に浸り、はるかなる郷土の歴史をたたえようとするものである。 |
豊國之聞之濱邊之愛子地(とよくにの企救のまなごつち) 眞直之有者何如将嘆(まなほにしあらば何か嘆かむ)
第七巻−1393 |
豊洲聞濱松心哀(とよくにの企救の浜松ねもころに) 何妹相云始(何しか妹に相いひ初めけむ)
第十二巻−3130 |
霍公鳥飛幡之浦尓敷浪乃(ほととぎすとばたの浦にしく波の) 屡君乎将見因毛鴨(しばしば君を見むよしもがも)
第十二巻−3165 |
豊國乃聞之長濱去晩(とよくにの企救の長浜行き暮らし) 日之昏去者妹食序念(日の暮れゆけば妹をしぞ思ふ)
第十二巻−3219 |
豊國能聞乃高濱高々二(とよくにの企救の高浜たかだかに) 君待夜等者 左夜深来(君待つ夜らはさ夜更けにけり)
第十二巻−3220 |
豊國企玖乃池奈流菱之宇礼乎(とよくにの企救の池なる菱のうれを) 採跡也妹之御袖所沾計武(摘むとや妹がみ袖濡れけむ)
巻第十六−3876 |