2016年福 岡

武蔵寺〜碑巡り〜
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鹿児島本線二日市駅から武蔵寺に向かう。

九州自動車道を越える辺りで踊子草が咲いていた。


 福岡県指定史跡
武蔵寺跡

 武蔵寺跡は、創建が奈良時代に遡ると考えられている古代寺院です。境内から出土した瓦や寛治8年(1094年)2月2日に武蔵寺の僧頼暹(らいせん)が埋蔵したことを記した経筒が発見されていることや、「今昔物語集」や「梁塵秘抄」などの古典にその名は登場することなど、平安時代後期には隆盛を誇っていたと考えられます。

 武蔵寺に伝わる縁起によれば藤原鎌足の子孫で壬申の乱に功績があった藤原虎麿(初代大宰帥蘇我日向臣身刺(そがのひむかのおみみさし)のことだといわれています。)が創建したと伝えられています。

 今も、天台宗の古刹「椿花山成就院武蔵寺」として、法灯を守り続けています。

武蔵寺山門の前に東久世通禧の歌碑があった。


   武蔵寺に詣て    通禧

藤なみのはなになれつゝ宮人の

むかしのいろにそてをそめけり

 明治維新を築いた三條実美・東久世通禧(みちとみ)ら西遷の5卿は、慶應1〜3年を太宰府でおくり勤皇派と維新回転の策を巡らした。緊迫の中にも武蔵寺や二日市温泉に憩いを求めた。

   ふじなみのはなになれつつみやびとの
      むかしのいろにそでをそめけり   通禧

 風になびき波なす武蔵寺の藤の花房を見ていると、遠い昔栄えた藤原氏を思い出す。私の衣も同じように紫色に染まるようだ−と深い憧憬の心がこもる。

「天神館の藤」に菅原道真の詩碑があった。


離 家 三 四 月
落 涙 百 千 行
万 事 皆 如 夢
時 々 仰 彼 蒼

   菅家後集道真之詩

(家を離れて三四月(みつよつき)、落つる涙は百千行(ももちつら)。万事皆夢の如し、時々彼蒼を仰ぐ)

901年2月太宰府へ流された菅原道真が2年後59歳の生涯を閉じるまで38首が収められている「菅家後集」の冒頭の1首。

 故郷を離れ数ヶ月が経った。余りに変わり果てた我が身を考えると、これまでの事が全て夢のようだ。今は時々天を仰いで運命を祈るだけだ…と詠まれている。

空位空官、衣食に苦しみ、身を痛め、ついには窮死する傷心、悲痛、凄惨の中に生まれた詩は古今独歩のものである。

紫藤の滝


紫藤の滝      筑紫野市教育委員会

 延喜元年(901年)、菅原道真が太宰府に左遷され、天拝山に登って無実を訴えたとされています。その際、この「紫藤の瀧」で身を清めたといわれています。 紫藤とは武蔵寺の「長者の藤」(市指定天然記念物)に由来します。

 左側の自然石は、道真が身を清めるとき衣を掛けたといわれている「衣掛の岩」です。

 右側の「古石塔」は正平20年(1365年)2月安楽寺(今の太宰府天満宮)の僧「信聡」によって建立されたもので、市指定文化財です。碑文は次のとおりです。

天判峯頭仰彼蒼   天判峯頭彼蒼を仰ぐ
願心成満放威光   願心成満威光を放つ
御衣薫石変成塔   御衣薫石変じて塔と成る
五百年来流水香   五百年来流水香る

武蔵寺境内の片隅に芭蕉の句碑があった。


芭蕉翁之碑

鶯の笠おとしたる椿哉

出典は土芳稿『芭蕉翁全傳』

元禄3年(1690年)2月6日、伊賀の西島百歳の家で巻かれた歌仙の発句。

長者の藤


 筑紫野市指定天然記念物
長者の藤

 武蔵寺縁起絵図(市指定有形文化財)によると、武蔵寺創建の伝承を持つ藤原虎麿が自分の姓にちなみ「塔堂の盛衰は、この藤の盛衰にあらん」と誓って、藤の木を植えたと伝えられています。

 藤は万葉集にも数多く読まれ、日本の文化や私達の生活にも深く結びついています。

 日本にはヤマフジ系とノダフジ系がありますが、このフジはツルが右に巻くノダフジです。

 フジは、寿命が長く、樹齢千年と推定されるものもあり、めでたい木として扱われています。

武蔵寺


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