新年の旅日記

愛媛縣護國神社〜熱田津の歌碑〜
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松山市御幸に愛媛縣護國神社(HP)がある。


護国神社は種田山頭火の『松山日記』・『一草庵日記』にしばしば登場する。

 二月十一日 曇――雨。

紀元節、新らしい世紀を意識し把握し体得せよ、殆んど徹夜だつた、句稿整理。

午前、道後温泉入浴、護国神社参拝、午後、一洵兄と同道して月村君を訪ね、三人打連れて漫歩漫談、降りだしたので急いで帰つた。

『松山日記』

 八月六日 晴。

東が白むのを待ちかねて起きる、まもなく護国神社の太鼓が、とうとうとうと鳴り出した、だいぶ日が短くなつて、もう五時も近からう。

『一草庵日記』

護国神社の愛媛万葉苑に「熱田津の歌碑」があった。


熟田津尓舩乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許藝乞菜

『万葉集』(巻第一)、額田王の歌である。

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

額田王(7世紀まで在世)

 初期万葉歌人。『日本書紀』によると、斉明天皇の船団は、新羅の侵攻から百済を救援するため、筑紫に向かう途中、伊予の湯に、斉明7年(661年)1月14日に立ち寄ったとある。一行はしばらく滞在し、船団を整え出発する時の歌であろうとされている。

 額田王が天皇に代わって詠んだ歌といわれ、また、女帝自身の御歌ともいわれる。「にきたつで船出をしようと月の出を待っていると潮も都合のよい高潮になって来た。さあ出かけようよ」の意。文字は最古の元暦本(1184)による。昭和42年建立。

愛媛縣護國神社
松山市教育委員会

『俳句の里 松山』