新年の旅日記

一之宮神社〜芭蕉の句碑〜
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石岡神社から小松町新屋敷甲の一之宮神社まで歩く。

一之宮神社の鳥居


鳥居をくぐると、左手に芭蕉の句碑があった。


志保らし幾名やこ末徒ふ久者幾すゝ幾
(しおらしきなやこまつふくはぎすすき)

 右は、松尾芭蕉が『奥の細道』の行脚で、加賀の小松(現・石川県小松市)に於いて詠んだ句である。天保14年(1843年)芭蕉百五十年忌にあたり、長谷部映門(小松藩士で代官?1848年没)は、「小松」の名にちなむこの句碑を当時の宝寿寺境内(現在地)に建て、10月12日の時雨忌には追善の句会を催した。

 長谷部映門は「静佳発句帖」、その妻菊圃は「四季発句草稿」など多くの作をのこす、江戸時代の伊予を代表する俳人であった。句碑の文字は菊圃の兄で松山藩の儒者日下伯巖(くさかはくがん)の揮毫による。

小松町教育委員会

 平成16年(2004年)11月1日、小松町は西条市・東予市・丹原町と合併により、西条市小松町となった。

一之宮神社の社殿


宝寿寺は現在JR予讃線の南側にある。

天養山観音院宝寿寺


四国八十八ヶ所霊場第62番札所

高野山真言宗の寺である。

2017年、宝寿寺は四国八十八ケ所霊場会からの脱退が認められた。