昔の旅日記

フラワーライン 〜養老温泉「秘湯の宿滝見苑」〜

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首都高から葛西JCで湾岸線に入る。宮野木JCで京葉道路へ。
宮野木から穴川まで渋滞。

千葉東JCで館山道へ。
館山道は木更津でお仕舞い。館山まで行かない。

木更津南で国道127号に入る。
間違えて上り方面に入ってしまったので、引き返す。
 内房沿いの国道127号はいつも混んでいるそうなので、国道455号で内陸部に入る。

県道86号で館山方面に向かう。

館山から館山白浜線(フラワーライン)で海岸沿いに行く。


洲埼灯台がある。


有料駐車場が300円。駐車場のおやじは、えらく愛想がよかった。
所々に「開発反対」の小さな立て札がある。何の開発なのだろう。

道には黄色い菜の花と色とりどりのストック。これがフラワーラインのフラワーだ。

ラーメンでも食べようと車を停めると、若山牧水の歌碑があった。



しら鳥はかなしからずやそらの青海のあをにもそまずたゞよふ

山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君

『海の声』

大島の山のけむりのいつもいつもたえずさびしきわが心かな

『若山牧水歌集』

 若山牧水は小枝子と白浜の根本海岸で明治41年(1908年)の正月を過ごした。早稲田大学英文学科在学中のことである。

ラーメン屋は「牧水亭」。混んでいたのでラーメンは食べなかった。

フラワーラインは国道410号に合流する。

野島埼灯台。


 洲埼灯台と比べると、観光客がいっぱい。洲埼灯台も観光開発しようという動きがあるのだろう。

 野島埼灯台は房総半島最南にあるので、能登半島の先端にある禄剛崎灯台と同じように日の出と日の入りが1ヵ所で見られるわけだ。

 文明18年(1486年)、道興准后は野島埼を訪れた。

今宵はこゝに通夜し。明くるあした。名にしおふ野島が崎を見侍れば。朝霧こゝかしこに立消るさまたゞならず。

  あま小舟見えつかくれつ朝あけの野じまがさきの霧のむらむら


 明治39年(1906年)8月12日、河東碧梧桐は野島埼灯台を通りがかる。

 午前六時半発。野島が岬の燈台を右に見て、例によって山に沿いつつ海端を通る。長尾の松原神社のお祭りじゃというて、人の往来が賑わしい。


 明治41年(1908年)1月4日、牧水は同郷(日向)の友人に葉書を出している。

 わが居るは安房の海に突きいでし突端なれば日は海より出で海に落つるなり海の中に大島浮きて旦夕煙を吐くその右に冨士朗らかに見ゆ

 日本の洋式灯台として野島埼灯台は観音埼灯台に次いで2番目に古いそうだ。耐震補強工事のため見学はできなかった。

養老温泉「秘湯の宿滝見苑」に向かう。

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