2005年千 葉

香取神社〜一里塚の碑〜

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JR常磐線南柏駅から旧水戸街道を北小金に向かう。


柏市から流山市に入ると、福祉会館入口に香取神社がある。


香取神社


 江戸時代初期創建の旧向小金新田の産土神(うぶすながみ)。祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)。境内には一里塚碑、青面(しょうめん)金剛像の庚申塔などの石造物やイチョウ、ムクなどの保存樹木がある。

文化4年(1807年)3月1日、一茶は小金原を通り流山に入る。

よるハとしや野べは鳥鳴桜咲

一里塚の碑


 この香取さまの社頭南北に通う道は、江戸と水戸との往還、水戸街道であります。むかし街道には1里毎に土を盛塚となして、榎の木を植え生やし、旅人たちの目じるしとも、暑い陽射しには憩いの日蔭を、俄かの雨には頼みの木立を、それは酷(きび)しくも美しい自然と人間とのかかわりでもありました。

 ここにも一里塚があって、長い歳月の程を朝に夕に往き来の人を送り迎えた榎の巨木は、幾とせか前に枯損して、塚は毀(こぼ)ち均(なら)され、これは植え継がれた榎です。

 過ぎゆく忽忙の歴史の彼方に、そこはかとなく忘れ去ることの忘却を想い、この碑を建てました。

昭和62年秋

一里塚の碑に小林一茶の句が書いてある。

下陰をさがしてよぶや親の馬

小金牧の放馬を詠んだ句。小金牧は下総台地にあった幕府の御用牧場。

季語は下陰。

文化7年(1810年)6月14日、流山から小金原を経て守谷に向かう。

十四 晴
 小金原


 布施村中食す。守谷西林寺入。将門旧迹所々に有。

『七番日記』(文化7年6月)

一茶48歳の時である。

 松戸の子和清水(こわしみず)には「母馬が番して呑ます清水かな」の句碑がある。

 嘉永4年(1851年)12月15日、吉田松陰は小金宿を過ぎて小金原に出る。

十五日  晴。辰時、寺を出づ。行くこと三里、小金驛と爲す。驛を過ぐれば廣原漫々たり、即ち小金原にして幕府の操場なり。野馬九匹を見る。


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