2005年千 葉

紅竜山東海寺〜布施弁天〜



 柏市布施の紅竜山東海寺(布施弁天)に一茶が詣でているというので、行ってみた。


 紅竜山東海寺は真言宗豊山派の寺。布施弁天は浅草弁天山江ノ島とともに関東三弁天のひとつに数えられているそうだ。

   布施辨財天社

布施は江戸より松戸小金を經て、水海道へのゆくてなり。田中に孤山あり。古は湖中の島なりとぞ。辨財天を祀る、東麓に窟(いはや)あり。別當を紅龍山松光院東海寺といふ。眞言宗常陸ノ國大塚護持院末なり。寺寳に蟠龍石あり。此處は關東三辨天の一にして、詣人羣集し、戸頭の渡舟を望み、曙山の櫻楓を眺めて、頗る勝景と稱するに足れり。


紅竜山東海寺(布施弁天)楼門


柏市文化財めぐり

紅竜山東海寺(布施弁天)楼門(昭和43年6月1日柏市指定文化財)

 楼門は文化7年(1810年)の創建で、総欅入母屋造り、桟瓦葺き、3間3戸の山門です。2階の内部中央には須弥壇を設け、釈迦如来をまつってあります。

 この楼門は、従来のアーチ形無柱の伝統を破って、2柱を立て、通用部分を3区分してあります。これは当寺が勅願所であったことから、本堂の四柱向拝にならい、中央部を正使ガ通り、両脇部を副使が通るようにしたためです。

 建築の中心的役割を果したのは、布施の藤十郎という大工棟梁でした。この人は、おそらく寺大工であったと思われますが、当時、このような重厚な建築のできる大工が、この地域にいたということは注目に価します。

 昭和63年2月
柏市教育委員会
柏市文化財保護委員会

 一茶が流山の秋元双樹と連れだって東海寺(布施の弁財天)に詣でたのは文化9年(1812年)2月12日。創建2年目のことである。

紅竜山東海寺(布施弁天)本堂


榎本其角も布施の弁財天に詣でている。

   正月己巳布施の辨才天へ詣侍る奉納

玉椿晝とみえてや布施籠


本堂の左手に其角の句碑があった。


玉つはきひるもふてけり布せこもり

寿楽、建立。

『利根川図志』には「玉椿晝とみえてや布施籠り」とある。

柏市文化財めぐり

紅竜山東海寺(布施弁天)本堂(昭和43年6月1日柏市指定文化財)

 柏市の北東、利根川を眼下に望む島状の高台にあり、浅草弁天山・江の島と共に、関東三弁天の1つに数えられています。

 布施弁天縁起によると、大同2年(807年)7月7日の夜「紅竜が現われ島を築き」とありま。現在の亀甲状の丘が、一帯の湖沼の中に一夜にしてでき、その奇瑞から信仰の場となりました。

 弘仁14年(823年)3月、嵯峨天皇の時に紅竜山東海寺として、伽藍を建立し、勅願所に指定されたといわれています。

 現在の本堂は、亨保2年(1717年)の創建で、正面5間、側面6間の総朱塗、三方破風入母屋造りです。向拝に4柱を配して3区分してあるのは、正副勅使の上堂通路を区分するためてす。内部、外陣の天井の鏡板には狩野探舟の筆による竜が描かれています。また内陣の天井には、本堂建設に協力した84名の大名の紋章が描かれています。

 現在の屋根は、昭和46年から47年にかけて、厚萱から銅板へ葺き替えられたものです。

 昭和63年2月

柏市教育委員会
柏市文化財保護委員会

紅竜山東海寺(布施弁天)鐘楼


柏市文化財めぐり

紅竜山東海寺(布施弁天)鐘楼(昭和43年6月1日柏市指定文化財)

 鐘楼は文化15年(1818年)の創建で総欅入母屋造り、銅板葺き、全容は多宝塔型です。八角形の石積基壇の上に、円形に12柱を立てた塔身があります。この12本の柱上部に十二支の彫刻を配し、方位を示しています。内部の天井は格組みにし、中央には昭和33年鋳造の梵鐘が吊られています。

 鐘楼の設計は、茨城県筑波郡谷田部の名主飯塚屋伊賀七があたりました。伊賀七は「からくり伊賀」といわれ、木製大時計、互角堂の他、微々の発明品を作ったと伝えられています。この鐘楼の設計図も飯塚家に現存しています。

 多宝塔の建築法を鐘楼に応用したもので、全国的にもきわめて珍しい建築様式とされています。

 昭和63年2月

 
柏市教育委員会
柏市文化財保護委員会

一茶が詣でた時には、まだ鐘楼は無かったわけである。

紅竜山東海寺(布施弁天)三重塔


三重塔は昭和48年の創建で、文化財ではないらしい。

東海寺は新四国相馬霊場八十八ヶ所68番札所である。

「宗舞」の句碑があった。


涼しさや真帆耳真向の山奈連者

(涼しさや真帆に真向の山なれは)

大谷若水書。

「宗舞」を「宗房」と誤り、芭蕉の句碑として誤伝されてきた。

麦秋の句碑があった。


闇に寐た眼をあけぼののさくら哉

文化12年(1815年)6月、本多伯耆守正温公筆。

布施弁天から見下ろす。


県道47号守谷流山線の新大利根橋が見える。

「戸頭の渡舟」があった所であろう。

布施街道は水戸街道の脇往還である。

 文化7年(1810年)6月14日、一茶は布施村で昼食、焦雨に案内されて守谷の西林寺へ。

布施村中食す。守谷西林寺入。将門旧迹所々に有。

『七番日記』(文化7年6月)

 文化8年(1811年)正月13日、一茶は西林寺を立ち、布施ノ渡しを渡って流山へ。

十三 晴 今日西林寺出立 布施ノ渡し 花ノ井 大室 大黒新田 大黒 三輪山 加村 流山ニ入

『七番日記』(文化8年正月)

あけぼの山公園へ。

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