牧水歌碑

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名栗温泉

県道70号飯能名栗線から県道53号青梅秩父線に入る。


左折して入間川を渡ると、名栗温泉がある。

名栗ラジウム温泉

 この温泉は承久年間(1219〜21年)発見と伝わる鉱泉である。秩父から妻坂峠越えをした若山牧水も旅の一夜を過ごし歌を詠んでいる。

 大正9年(1920年)4月7日、若山牧水は秩父の「長生館」から奥さんに絵葉書を出している。

 實によく晴れた。これで此處に來た甲斐があつた様なものだ。何しろ、この大きな宿に僕一人が客なのだからね。

秩父寶登山長命館(ママ)より

牧水は妻坂峠を越え、名栗鉱泉へやってきた。

名栗鉱泉から同郷の友人に絵葉書を出している。

 木の芽がすつかり芽ぐんで來たのでたまりかねて宅を飛び出した。熊谷から入り込んで例の長瀞に一泊し、昨日秩父町を經て妻坂峠といふを越え、此處に來た。

武州秩父名栗鑛泉より

若山牧水の歌碑がある。


ちろちろと岩つたふ水に這ひあそぶ赤き蟹ゐて杉の山静か

 各地を遍歴した牧水は大正年間にしばしば名栗・秩父を歩き、当地名栗温泉にも宿泊し、多くの歌を残している。なお牧水の祖父健海は所沢の出身である。

若山牧水の歌碑を建てる会

大正6年(1917年)11月に詠まれた歌。

 牧水の第12歌集『溪谷集』に「秩父の秋」と題して96首収められているものの中の1首。「十一月のなかば、打続きたる好晴に乗じ秩父なる山より渓を歴巡る、その時の歌。」と詞書がある。

大正6年(1917年)11月12日、飯能から同郷の友人に葉書を出している。

 あんまりよく晴れたので、ふいと思ひ立つて、正午すぎ、池袋から武蔵野鐵道に乘つて、此處まで來た。野のはて、山の起る際、裏を流るゝ入間川が意外に大きく且つ清いので驚いてゐる。あまりその渓が美しいので、明日もう一日、若し晴れたら渓に沿うて三四里馬車に乘つて見ようか知らと考えてゐる、痛み出しはせぬかと危ぶみながら。

武州飯能町港屋より

武蔵野鐵道は大正4(1915)年4月15日に開業。現在の西武池袋線である。

歌碑の下に福寿草が咲いていた。


若山牧水が訪れた鉱泉宿は名栗温泉「大松閣」。

昔の絵葉書に若山牧水の歌が書いてあった。


   秩父の秋

 十一月のなかば、打続きたる好晴に乗じ秩父なる山より渓を歴巡る、その時の歌。

飲む湯にも焚火のけむり匂ひたる山家の冬の夕餉なりけり

秋の渓温泉(いでゆ)とはいへど断崖(きりぎし)に滴る引きてやがてわかす湯

第12歌集『渓谷集』

大正6年(1917年)11月の歌である。

 一夜を小さき鉱泉宿に過し翌日名栗川に沿うて飯能町に出づ、川小さけれど岩清く水澄みたり。

わかし湯のラヂウムの湯はこちたくもよごれてぬるし窓に梅咲き

第13歌集『黒土』

大正9年(1920年)4月の歌。

 牧水の死後、喜志子夫人は牧水を偲んで幾度か「大松閣」を訪れているそうだ。

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