牧水の歌

牧水歌碑

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明治35年(1902年)

海にあびて歸る松原末遠く青葉若葉に白雨(ゆふだち)のふる
歌集未収録

明治37年(1904年)

阿蘇の街道大津の宿に別れつる役者の髪の山ざくら花

『海の声』

明治38年(1905年)

ほととぎす鳴くよと母に起こされてすがる小窓の草月夜かな
『新聲』(10月1日號)

明治39年(1906年)

   旅ゆきてうたへる歌をつぎにまとめたり
   思ひ出にたよりよかれとて

山の雨しばしば軒の椎の樹にふりきてながき夜の灯かな(百草山にて)

立川の駅の古茶屋さくら樹の紅葉のかげに見おくりし子よ

『海の声』・『別離』

樹は妙に草うるはしき青の国日向は夏の香にかをるかな

『新聲』(9月1日號)

海の聲ほのかにきこゆ磯の日のありしをおもふそのこひしさに

歌集未収録

明治40年(1907年)

白鳥(はくてう)は哀しからずや海の青そらのあをにも染まずたゞよふ

『新聲』(12月號)

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君

母恋しかかる夕べのふるさとの桜咲くらむ山の姿よ

山ざくら花のつぼみの花となる間のいのちの恋もせしかな

日向の国むら立つ山のひと山に住む母恋し秋晴の日や

けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く

幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

青海はにほひぬ宮の古ばしら丹なるが淡う影うつすとき

『海の声』・『別離』

山静けし山のなかなる古寺の古りし塔見て胸仄に鳴る

桃柑子芭蕉の実売る磯町の露店(よみせ)の油煙青海にゆく

『海の声』

はつ夏の山のなかなるふる寺の古塔のもとに立てる旅びと

『別離』

安芸の国越えて長門にまたこえて豊の国ゆき杜鵑聴く
(二首耶馬渓にて)

ただ恋しうらみ怒りは影もなし暮れて旅籠の欄に倚るとき

檳榔樹の古樹を想へその葉蔭海見て石に似る男をも

椰子の実を拾ひつ秋の海黒きなぎさに立ちて日にかざし見る
(以下三首都井岬にて)

あはれあれかすかに声す拾ひつる椰子のうつろの流れ実吹けば

日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端に独り海聴く

麓には潮ぞさしひく紀三井寺木の間の塔に青し古鐘

一の札所第二の札所紀の国の番の御寺をいぎ巡りてむ

粉河寺遍路の衆のうち鳴らす鉦々きこゆ秋の樹の間に

鉦々のなかにたたずみ旅びとのわれもをろがむ秋の大寺

雲やゆくわか地やうごく秋真昼鉦も鳴らざる古寺にして
(二首法隆寺にて)

秋真昼ふるき御寺にわれ一人立ちぬあゆみぬ何のにほひぞ

明治41年(1908年)

山を見き君よ添寝の夢のうちに寂しかりけり見も知らぬ山

わかれては十日ありえずあわただしまた碓氷越え君見むと行くに

胸にただ別れ来しひとしのばせてゆふべの山をひとり越ゆなり

秋かぜや碓氷のふもと荒れ寂びし坂本の宿の糸繰の唄(坂本に宿りて)

『海の声』・『別離』

明治42年(1909年)

ふるさとのお秀が墓に草枯れむ海にむかへる彼の岡の上に

『別離』

摘みてはすて摘みてはすてし野のはなの我等があとにとほく続きぬ

小鳥よりさらに身かろくうつくしく哀しく春の木の間ゆく君

『独り歌へる』

歯を痛み泣けば背負ひてわが母は峡の小川に魚を釣りにき
『路上』

咲き満てる桜のなかのひとひらの花の落つるをしみじみと見る

拾ひつるうす赤らみし梅の実に木の間ゆきつつ歯をあてにけり

『独り歌へる』

明治43年(1910年)

かのをとめ顔の醜し多摩川にわか草つみに行かむとさそふ

山越えて入りし古駅の霧のおくに電灯の見ゆ人の声きこゆ

わが小枝子思ひいづればふくみたる酒のにほひの寂しくあるかな

かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ

小諸なる医師の家の二階より見たる浅間の姿のさびしさ

秋風のそら晴れぬれば千曲川白き河原に出てあそぶかな

見よ旅人秋のすゑなる山山のいただき白く雪つもり来ぬ

多摩川の浅き流れに石なげてあそべば濡るるわがたもとかな

春あさく藍もうすらに多摩川のながれてありぬ憂しやひとりは

多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふ人のあれかし

『路上』

いつとなく秋のすがたにうつりゆく野の樹々を見よ、静かなれこころ

   信濃より甲斐へ旅せし前後の歌、十六首。

山に入る旅人の背のいかばかりさびしかるべきおもへわが友

かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ

植物園の松の花さへ咲くものを離れてひとり棲むよみやこに

   四月十三日午前九時、石川啄木君死す。

初夏の曇りの底に桜咲き居りおとろへはてて君死ににけり

午前九時やや晴れそむるはつ夏のくもれる朝に眼を瞑ぢてけり

君が娘は庭のかたへの八重桜散りしを拾ひうつつとも無し

病みそめて今年も春はさくら咲きながめつつ君の死にゆきにけり

『死か芸術か』

明治45年(1912年)

ふるさとの尾鈴のやまのかなしさよ秋もかすみのたなびきてをり
『みなかみ』

大正2年(1913年)

有明の海のにごりに鴨あまたうかべり船は島原に入る

椿の花、椿のはな、わがこころも一枚の絵のごとくなれ一面となれ

海よかげれ水平線の黝みより雲よ出で来て海わたれかし

『みなかみ』

   不孝の児を持てる老人に暫しの安息もなし

春あさき田じりに出でて野芹つむ母のこころに休ひのあれ

『砂丘』

   東京霊岸島より乗船、伊豆下田港へ渡る

ほてり立つ瞳かき瞑ぢ乗合客の臭きにまじり海に浮べり

   伊豆の岬に近づきしころ、風雨烈しく船まさに覆らむとす

どどと越ゆる甲板の大なみ船室には五十のひとの生きてゐるなり

   下田港より灯台用便船に乗りて神子元島に渡る、一木なき岩礁なりき

船は五挺櫓漕ぐにかひなの張りたれど涛黒くして進まざるなり

   その島にただ灯台立てり、看守K−君はわが旧き友なり

友が守る灯台はあはれわだ中の蟹めく岩に白く立ち居り

『秋風の歌』

大正4年(1915年)

岨路のきはまりぬれば赤ら松峰越しの風にうちなびきつつ

老松の風にまぎれず啼く鷹の声かなしけれ風白き峰に

峰のうへに巻き立てる雲のくれなゐの褪せゆくなべに秋の風吹く

時をおき老樹の雫おつるごと静けき酒は朝にこそあれ

   病妻を伴ひ三浦半島の海岸に移住す、三月中旬の事なりき

海越えて鋸山はかすめども此処の長浜浪立ちやまず

   音羽護国寺

むら立ちの異木に行かず山雀は松の梢にひもすがら啼く

この寺の森に寄る鳥とりわけて山雀のなくはあはれなりけり

『砂丘』

大正5年(1916年)

   銘酒白雪を送らむといふたより来る

津の国の伊丹の里ゆはるばると白雪来るその酒来る

手に取らば消なむしら雪はしけやしこの白雪はわがこころ焼く

   春浅し

わが庭の竹の林の浅けれど降る雨見れば春は来にけり

鶯はいまだ来啼かずわが背戸辺椿茂りて花咲き籠る

   来福寺にて

友の僧いまだ若けれしみじみと梅の老木をいたはるあはれ

酒出でつ庭いちめんの白梅に夕日こもれるをりからなれや

   塩釜より松島湾へ出づ

塩釜の入江の氷はりはりと裂きて出づれば松島の見ゆ

   盛岡古城址にて

樅桧五葉の松はた老槙の並びて春の立つといふなり

   雫石川か中津川か

城あとの古石垣にゐもたれて聞くとしもなき瀬の遠音かな

   津軽平野一面積雪数尺に及ぶ

橇の鈴戸の面に聞ゆ旅なれや津軽の国の春のあけぼの

   秋田市千秋公園

鶸繍眼児燕山雀啼きしきり桜はいまだ開かざるなり

曇さびしいま七日たたば咲かむとふ桜木立の蔭を行き行くに

   福島市某旗亭即興

つばくらめちちと飛び交ひ阿武隈の岸の桃の花いま盛りなり

夕日さし阿武隈河のかはなみのさやかに立ちて花散り流る

『朝の歌』

   秋風と蓮の花

蓮ひらくしらじら明けに不忍の池にまひ降るる白鷺のむれ

『白梅集』

大正6年(1917年)

湯の町の葉ざくら暗きまがり坂曲り下れば渓川の見ゆ

   翌々日磯部を出で高原の路を歩きて妙義山に向ふ

行き行けば青桑畑ひとすぢの道をかこみて尽きむともせず

みちばたの桑の葉かげに腰おろし煙草すひ居れば霧降り来る

その山は雲にかくれつ妙義道直きかぎりに桑畑曇る

   いろいろと考ふるに心に浮ぶは故郷の渓間なり

幼き日ふるさとの山に睦みたる細渓川の忘られぬかも

   最上川

最上川岸の山群むきむきに雲篭るなかを濁り流るる

中高にうねり流るる出水河最上の空は秋ぐもりせり

砂山の蔭に早やなりぬ何やらむ別れの惜しき酒田の港

『さびしき樹木』

石越ゆる水のまろみを眺めつつこころかなしも秋の渓間に

飲む湯にも焚火のけむり匂ひたる山家の冬の夕餉なりけり

ちろちろと岩つたふ水に這ひあそぶ赤き蟹ゐて杉の山静か

きりぎしの岩のさけ目をつたひつつ落ち落つる水は氷りたるごと

   八幡岬に在りて図らず満月を見る

ありがたやけふ満つる月と知らざりしこの大き月海にのぼれり

『溪谷集』

大正7年(1918年)

二月七日今度はわれ一人にて土肥へ赴き月末まで滞在す、その時の歌のうちより。

   早春雑詠

よりあひて真すぐに立てる青竹の薮のふかみに鶯の啼く

ひとみには露をたたへつ笑む時の丹の頬のいろは桃の花にして

椿のいまだふふみて咲きいでぬこの海女が子を手にか取らまし

   土肥より汽船にて沼津へ渡らむとし、戸田の港口にて富士を見る

伊豆の国戸田の港ゆ船出すとはしなく見たれ富士の高嶺を

柴山の入江の崎をうちめぐり沖に出づれば富士は真うへに

『溪谷集』

眼前景情

五月六日駒場村なる曹洞宗大学歌会に招かる、席上より見る郊外の景色甚だ佳し、即ち題として詠む。

をりをりに明るみ見する初夏の曇日の原はそこひ光れり

うちなびき雲こそわたれ初夏の大野の空は曇りながらに

をちかたの杉のむらだち真黒くていまは曇の晴れむとすらし

聞きゐつつ楽しくもあるか松風のいまはゆめともうつつとも聞ゆ

   那智にて

   赤島を出で雨強きなかを那智山に登り、滝見ゆる宿に一泊す。

末うすく落ちゆく那智の大滝のそのすゑつかたに湧ける霧雲

白雲のかかればひびき打ちそひて滝ぞとどろくその雲がくり

岩割けるひびきと聞え澄みゆけばうらかなしくぞその滝きこゆ

とどろとどろ落ち来る滝をあふぎつつこころ寒けくなりにけるかな

聞きゐつつ楽しくもあるか松風のいまはゆめともうつつとも聞ゆ

しみじみとけふ降る雨はきさらぎの春のはじめの雨にあらずや

人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ

大渦のうづまきあがり音もなしうねりなだれて岩を掩へども

大渦のうづまきあがりなだれたるなだれのうへを水千千に走る

わが行くは山の窪なるひとつ路冬日ひかりて氷りたる路

利根の流域より名も知らぬ山を越えて吾妻川の峡谷に出づ、此処には雪なくてなほ黄葉残りたり。

雑木山登りつむればうす日さしまろきいただき黄葉照るなり

このあたり低まりつづく毛の国のむら山のうへに浅間山見ゆ

吾妻川の上流にあたり渓のながめ甚だすぐれたる所あり、世に関東耶馬渓とよぶ。

岩山のせまりきたりて落ち合へる峡の底ひを渓たぎち流る

うづまける白渦見ゆれ落ち合へる落葉の山の荒岩の蔭に

人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ

『黒土』

大正8年(1919年)

   犬吠岬にて

ひさしくも見ざりしかもと遠く来てけふ見る海は荒れすさびたり(一月一日)

とほく来てこよひ宿れる海岸のぬくとき夜半を雨降りそそぐ

真藍なすつめたき海にひとつらに浪たちさわぎ朝の日昇る(一月三日)

まともなる海より昇る朝の日に机の塵のあらはなるかな

   磯部鉱泉にて

とある樹の根にしたたれる苔清水見てをりていまは飽かずもあるかな

川ばたの並木の桜つらなめてけふ散りみだる麦畑のかたに

樫の木の茂りを深み古き葉のきのふもけふも散りて尽きなく

霰なす樫の古葉にうちまじり散りいそぐかも庭のさくらは

芹生ふる沢のながれのほそまりてかすかに落つる音のよろしさ

山上湖

上州榛名山に登らむとて先づ前橋なる友が家に泊る、明くれば六月朔日の朝極めてよく晴れたり。

青水無月けふ朔日のあさ晴れてむら山のおくに雪の峰見ゆ

水無月の朝たけゆきて浮きいづるうす雲のかげに横ぶせる山

とほ空に浮き出づる雲のとりどりに光りなびきて青あらし吹く

草津を経て榛名山に登り山上湖畔なる湖畔亭に宿る、鳥多き中に郭公最もよく啼く。

山の上の榛名の湖のみづぎはに女ものあらふ雨に濡れつつ(その一)

みづうみのかなたの原に啼きすます郭公の声ゆふぐれ聞ゆ

『黒土』

大正9年(1920年)

その夜秩父長瀞なる渓合の宿に泊る、明くれば数日来の雨全く晴れて鶯頻りに啼く。

渓の音ちかく澄みゐて春の夜の明けやらぬ庭にうぐひすの啼く

秩父町出はづれ来れば機をりのうた声つゞく古りし家並に

   宇都宮市にて

ひとしきり散りての後をしづもりてうららけきかも遠き桜は

町なかの小橋のほとりひややけき風ながれゐてさくら散るなり

香貫山

八月中旬、東京を引払ひて駿河沼津在なる楊原村香貫山の麓に移住す、歌を詠み始めたるは九月半ばなりけむか。

海見ると登る香貫の低山の小松が原ゆ富士のよく見ゆ

香貫山いただきに来て吾子とあそび久しく居れば富士晴れにけり

低山の香貫に登り真上なるそびゆる富士を見つつ時経ぬ

『黒土』

大正10年(1921年)

野末なる三島の町の揚花火月夜の空に散りて消ゆなり

   大野原の秋

富士の南麓にあたる裾野を大野原と呼ぶ、方十里にも及びたらむか、見る限りの大野原なり。

富士が嶺や裾野に来り仰ぐときいよよ親しき山にぞありける

富士が嶺の裾野の原の真広きは言に出しかねつただにゆきゆく

なびき寄る雲のすがたのやはらかきけふ富士が嶺の夕まぐれかな


冬山にたてる煙ぞなつかしきひとすぢ澄めるむらさきにして

たち向ふ穂高が嶽に夕日さし湧きのぼる雲はいゆきかへらふ

わが伴へる老案内者に酒を与ふれば生来の好物なりとてよろこぶこと限りなし。

老人のよろこぶ顔はありがたし残りすくなきいのちをもちて

   焼嶽頂上

上高地より焼嶽に登る、頂上は阿蘇浅間の如く巨大なる噴火口をなすならずして随所の岩蔭より煙を噴き出すなり。

群山のみねのとがりのまさびしく連なれるはてに富士の嶺見ゆ

登り来て此処ゆのぞめば汝がすむひんがしのかたに富士の嶺見ゆ

『山桜の歌』

大正11年(1922年)

柴山のかこめる里にいで湯湧き梅の花咲きて冬を人多し

わが泊り三日四日つづき居つきたるこの部屋に見る冬草の山

山ざくら

三月末より四月初めにかけ天城山の北麓なる湯ケ島温泉に遊ぶ。附近の渓より山に山桜甚だ多し、日毎に詠みいでたるを此処にまとめつ。

うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花

うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花

吊橋のゆるるあやふき渡りつつおぼつかなくも見し山ざくら

瀬ゝ走るやまめうぐひのうろくづの美しき春の山ざくら花

山ざくら散りのこりゐてうす色にくれなゐふふむ葉のいろぞよき

とほ山の峰越の雲のかがやくや峰のこなたの山ざくら花

   畑毛温泉にて

人の来ぬ夜半をよろこびわが浸る温泉あふれて音たつるかも

わが肌のぬくみといくらもかはらざるぬるきいで湯は澄みて湛へつ

夜ふけて入るがならひとなりし湯のぬるきもそぞろ安けくてよし

長湯して飽かぬこの湯のぬるき湯にひたりて安きこころなりけり

   紅葉の歌

十月十四日より十一月五日まで信濃上野下野諸国の山谷を歴巡る。「紅葉の歌」より「鳴虫山の鹿」に到るまでその旅にて詠み出でたるなり。

枯れし葉とおもふもみぢのふくみたるこの紅ゐをなにと申さむ(その一)

露霜の解くるが如く天つ日の光をふくみにほふもみぢ葉

溪川の眞白川原にわれ等ゐてうちたたへたり山の紅葉を

わが急ぐ山より見ればむかつ山ゆふ日に燃ゆるもみぢなりけり

下草の薄ほほけて光りたる枯木が原の啄木鳥のこゑ

   枯野の落栗

夕日さす枯野が原のひとつ路わがいそぐ路に散れる栗の実

音さやぐおち葉が下に散りてをるこの栗の実の色のよろしさ

たぎり湧くいで湯のたぎりしづめむと病人つどひ揉めりその湯を

湯を揉むとうたへる唄は病人がいのちをかけしひとすぢの唄

上野の草津に来り誰も聞く湯揉の唄をきけばかなしも

おもはぬに村ありて名のやさしかる小雨の里といふにぞありける

学校にもの読める声のなつかしさ身にしみとほる山里すぎて

小学校けふ日曜にありにけり桜のもみぢただに散りゐて(四万湯原村)

山かげは日暮はやきに学校のまだ終らぬか本読む声す(永井村)

散れる葉のもみぢの色はまだ褪せず埋めてぞをるりんだうの花を

笹原の笹の葉かげに咲き出でて色あはつけきりんだうの花

   雪の歌

十月十九日上野国吾妻郡花敷温泉といふに宿り翌朝出立す、夜のほどにあたりの山に雪の降り積みたれば詠める。

ひと夜寝てわが立ちいづる山かげのいで湯の村に雪ふりにけり

上野と越後の国のさかひなる峰の高きに雪ふりにけり

時知らず此処に生ひ立ち鋼なす老木をみればなつかしきかも

   中禅寺湖にて

裏山に雪の来ぬると湖岸の百木のもみぢ散りいそぐかも

見はるかす四方の黒木の峰澄みてこの湖岸のもみぢ照るなり

みづうみを囲める四方の山脈の黒木の森は冬さびにけり

下照るや湖辺の道に並木なす百木のもみぢ水にかがよひ

   鳴虫山の鹿

鳴虫山は大谷川を距て女峯山男体山に向ふ、折々その山にて鹿の鳴くを聞く事ありと友の言へるを聞きて。

聞きのよき鳴虫山はうばたまの黒髪山に向ふまろ山

鹿のゐていまも鳴くとふ下野の鳴虫山の峰のまどかさ

『山桜の歌』

かみつけのとねの郡の老神の時雨ふる朝を別れゆくなり

相別れわれは東に君は西にわかれてのちも飲まんとぞおもふ

歌集未収録

大正12年(1923年)

肌にややかなしきさびの見えそめぬ四人子の母のはしきわが妻

をとめ子のかなしき心持つ妻を四人子の母とおもふかなしさ

    峡のうす雲

  三河鳳来山にて

降り入れる雨のひびきをわが聞くやわがまなかひの雨のひびきを

降り入りて森とよもせる雨のなかに啼きすましたる何の鳥ぞも

水恋鳥とひとぞをしへし燃ゆる火のくれなゐの羽根の水恋鳥と

   やよ少年たちよ

若竹の伸びゆくごとく子ども等よ真直ぐにのばせ身をたましひを

をさな日の澄めるこころを末かけて濁すとはすな子供等よやよ

すみやかに過ぎゆくものをやよ子等よ汝が幼な日をおろそかにすな

うつくしく清き思ひ出とどめおかむ願ひを持ちて今をすごせよ

老いてゆきてかへらぬものを父母の老いゆくすがた見守れや子等

念場が原

八が嶽の裾野を甲斐より信濃へ越えむとして念場が原といへるを過ぐ、方八里に及ぶ高原なり

枯薄に落葉松の葉の散り積みて時雨にぬれし色のさやけさ

松若き枯野の芝の荒くして枯れてさやけきいろにもあるかな

甲斐より信濃へ越すと冬枯の野をひと日来て此処に日暮れぬ

『黒松』

大正13年(1924年)

   筑後大川町にて

庭の松乏しかれどもそよ風にさゆらぐ見れば春は来にけり

十六夜はよべなりしかな今宵この月待ちがてに酒すすりをり

故郷に帰り来りて先づ聞くはかの城山の時告ぐる鐘(延岡町)

   甲州七面山にて

朴の木と先におもひし近づきて霧走るなかに見る橡若葉

花ちさき山あぢさゐの濃き藍のいろぞ澄みたる木の蔭に咲きて

雨をもよほす雲より落つる青き日ざし山にさしゐて水恋鳥の声

山襞のしげきこの山いづかたの襞に啼くらむ筒鳥聞ゆ

『黒松』

大川にわれは来にけりおほかはの流るるごとく酒わける里に

筑後川の河口ひろみ大汐の干潟はるけき春の夕ぐれ

大川のそのみなかみときくからに飲までをられぬこの草鞋酒

山かげに流れすみたるみなかみの静けきさまをおもひこそやれ

歌集未収録

大正14年(1925年)

夕焼の名残は見えて三日の月ほのかなるかも沼の上の空に

   八幡市荒生田の岡の上の宿にて、同十日前後

よべ一夜泊れる宿の裏庭に出でて拾ひぬこの落栗を

人いまだ行かぬこの路うつくしう桜もみぢの散れるこの朝

新墾のこの坂路のすそとほし友のすがたの其処ゆ登り来

霧島山栄之尾温泉にて、同所は海抜九百米の山腹に在り、同二、三日

見おろせば霧島山の山すその野辺のひろきになびく朝雲

明方の月は冴えつつ霧島の山の谷間に霧たちわたる

『黒松』

よき酒とひとのいふなる御園竹われもけふ飲みつよしと思へり

歌集未収録

大正15年(1926年)

尾長鳥と鹿

去年の春信州松代町に遊びぬ、折柄土地名物杏の花の真さかりにて町といはず村といはず家ごとに植ゑられしこの木の花におほくの尾長鳥寄りゐてあそべるを見き、あたりの山々にはなほ雪の白かりしが杏の咲けば山を出で来てこの鳥の里に見ゆるがならひなりとぞ。或日ふとこの鳥を思ひ出でて松代町なる中村柊花に寄せし歌

山出でて尾長の鳥のあそぶらむ松代町の春をおもふよ

尾長鳥垂尾うつくし柿若葉柘榴の花の庭にまひつつ

遠山に初雪は見ゆ旭川まちのはづれのやちより見れば

旭川の野に霧こめて朝早し遠山嶺呂に雪は輝き

   北海道旭川斎藤瀏君方にて

野葡萄のもみぢの色の深けれや落葉松はまだ染むとせなくに

柏の木ゆゆしく立てど見てをれば心やはらぐその柏の木

兵営の喇叭は聞ゆ暁のこの静かなる旅のねざめに

遠山に初雪は見ゆ旭川まちのはづれのやちより見れば

旭川の野に霧こめて朝早し遠山嶺呂に雪は輝き

こほろぎのなく音はすみぬ野葡萄の紅葉の霜はとけ急ぎつつ

時雨るるや君が門なる辛夷の木うす紅葉して散り急ぐなる

   石狩国砂川炭山にて、雪中所見

秋すでに蕾をもてる辛夷の木雪とくるころ咲くさまはいかに

霜はいま雫となりてしたたりつ朝日さす紅葉うつくしきかな

『黒松』

昭和2年(1927年)

   下の関の宿屋にて

藤の若葉や船出の前の荷造りのせはしき部屋に見たる若葉や

『黒松』

われ三たび此処に来りつ家のあるじ寂び定まりて静かなるかも

なつかしき城山の鐘鳴りいでぬをさなかりし日聞きしごとくに

おのづからよろづの味のもとゝなる亀甲萬のむらさきぞ濃き

歌集未収録

昭和3年(1928年)

   麦の秋

麦の穂の風にゆれたつ音きこゆ雀つばくら啼きしきるなかに

うちわたすこの麦畑のゆたかなるさまをし見れば夏闌けにけり

熟麦のうれとほりたる色深し葉さへ茎さへうち染まりつつ

うれ麦の穂にすれすれにつばくらめまひ群れて空に揚雲雀なく

立ち寄れば麦刈にけふ出で行きて留守てふ友が門の柿の花

『黒松』