「芭蕉桃青居土 元禄七年十月十二日」と、もとは彫ってあったという。 碑は昔、市内安東の長安寺に在ったが廃寺となったので、明治12年頃、材木町の大村青渓がこの寺に移した。 |
摩滅していて見えないが、中央正面に「しくれ塚」、右に「芭蕉桃青居土」、左に「元禄七年十月十二日」と芭蕉の命日が刻まれ、芭蕉の句はどこにも記されていなかったそうだ。句碑というより供養塔である。 |
天正14年(1586年)、秀吉は旭姫を夫の佐治日向守と離別させ、家康に嫁がせた。 天正18年(1590年)、旭姫は摂州有馬で病気のために亡くなる。48歳であった。 |