「芭蕉句碑」


此神もいく世か経なむまつの花

館山市正木の諏訪山に諏訪神社がある。


諏訪神社社殿


諏訪神社由緒

 諏訪神社は延喜元年(901年)、この諏訪山の地に創建されました。御祭神は建御名方命、下宮は父君の大国主命であります。

 御創建当時、諏訪山のふもとの集落は白濱郷と呼ばれ、村人は半農半漁の生活を営んでいましたが、しばしば大荒波に襲われ、その被害に苦しんでおりました。正月8日の夜、ある村人の夢に信濃の国の諏訪大社の神様が現れたので、村人たちがお社を建てて一心に祈ったところ、たちまち大荒波は静まり、一同は大層喜んだということです。

 その日以来、村人たちは霊験あらたかな当社を産土神、氏神として崇め奉り、一千百年を経た現在は正木地区(岡・本郷・川崎・西郷)の人々の心の拠り所となっています。

 また、諏訪神社は中世以来、里見氏や徳川氏より社領を安堵され、明治6年には郷社に列せられる等、那古地区では最も由緒あるお社であります。

社殿の左手に「芭蕉」の句碑があった。


此神もいく世か経なむまつの花

出典は『玉のひかり』だそうだが、存疑句である。

文久3年(1863年)3月、丘連中建立。文酬書。

文酬は正木村の医師雨葎庵三世高梨文酬で、丘連中を率いる。

明治6年(1873年)7月2日、73歳で没。

諏訪神社の神主関風羅も丘連中の俳人であった。

諏訪山から館山の町を見下ろす。


「芭蕉句碑」のトップページへ