芭蕉の句碑


藤の實は俳諧にせん花の阿と

大和町吉岡町裏に吉岡八幡神社がある。


参道の右側に芭蕉の句碑があった。


藤の實は俳諧にせん花の阿と

出典は『藤の実』(素牛編)。

素牛は広瀬維然の別号。

 元禄2年(1689年)9月、芭蕉が『奥の細道』むすびの地大垣に滞在中、維然は関から訪れた。

関の住、素牛何がし、大垣の旅店を訪はれ侍りしに、かのふぢしろみさかといひけん花は、宗祇のむかしに匂ひて

藤の実は俳諧にせん花の跡

『藤の実』

寛政11年(1799年)3月、建立。

『諸国翁墳記』に「藤實塚 奥ы武郡今村八幡建 同門人中」とある。

随身門


黒川総鎮守である。

社殿


祭神は應神天皇。

社殿の右手にも芭蕉の句碑らしきものがあった。


上部が欠けている。

風羅坊

(花にあそふ虻なくらひそ)友すゝめ

出典は『続の原』(不卜撰)。

貞亨4年(1687年)、芭蕉44歳の句。

「物皆自得」と前書きがある。

「風羅坊」は芭蕉の別号。

百骸九竅の中に物有、かりに名付て風羅坊といふ。


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