芭蕉の句碑
稲妻に悟らぬ人のとふとさよ
上野原市上野原に諏訪神社がある。
諏訪神社
右手に菱形角柱の句碑があった。
右側に芭蕉の句、左側に支考の句。
稲妻に悟らぬ人のとふとさよ
| はせを
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虻の目の何か悟りて早がてん
| 東花坊
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芭蕉の句の出典は『己が光』(車庸編)。
元禄3年(1690年)、芭蕉47歳の句。
『蕉翁句集』(土芳編)は「元禄四未ノとし」とする。
東花坊は各務支考の別号。
碑の裏には句碑建立者獅子門7世虚楽坊の句と建立の趣旨「路石坊の心つくせしをここに造立して両師の遺徳を燿かすものなり」が刻まれている。
あな尊ふと牡丹に獅子の狂ひかな 虚楽坊
虚楽坊琴睡は上野原の万年屋の医師、本名佐々木桂斉。路石坊追善句集『残寒』を発行。
路石坊栄里は上野原の小沢・下酒屋の人。獅子門3世楚石坊の門人。天保12年(1842年)8月、獅子門6世となる。弘化3年(1846年)2月23日、68歳で没。
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