芭蕉の句碑


雲霧の暫時百景をつくしけり

河口湖を一周して産屋ヶ崎へ。

産屋ヶ崎に産屋ヶ崎神社がある。


産屋ヶ崎神社


祭神は彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)俗に山彦、豊玉姫命、俗に乙姫。

 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)との間に生まれた3人の子のうちの一人で、火闌降命(ほのすそりのみこと)俗に海彦の弟。

 山彦は乙姫を残して帰るが、ある日乙姫が身重になってお産の為に海の中から出て来た。山彦は急いでこの岬に産屋(うぶや)を建て、その屋根は茅(かや)の代りに鵜(う)の羽根を集めて葺(ふ)かせた。 子は鵜(う)の羽根の屋根が葺(ふ)き終えないうちに生れたので、鵜茅草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)と呼んだ。それで産屋ヶ崎という。

詳しくは鈴木三重吉『古事記物語』

産屋ヶ崎に芭蕉の句碑があった。


雲霧の暫時百景をつくしけり

出典は『芭蕉句選拾遺』

「芭蕉翁」とあるので芭蕉の句碑だと分かるが、あとはよく読めない。

貞亨元年(1684年)秋、『野ざらし紀行』の旅で詠まれた句。

『野ざらし紀行』には「雰しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き」とある。

文化14年(1817年)に建てられたものらしい。

『諸国翁墳記』に「百景塚 甲斐国郡内川口 産屋ヶ崎社中」とある。

 安永4年(1775年)冬、加舎白雄は「甲峡紀行」の旅で産屋ヶ崎にやってきた。

 船津といふ所より舟をうかべて芙岳のふもとになるは潮のひとつときく産屋かさきに至りて、

   不二の影かげに鴨啼く湖水哉


産屋ヶ崎から富士山を望む。


富士山の姿は刻々と変わる。

富士河口湖温泉郷湖山亭うぶや」へ。

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