芭蕉の句碑


降らすとも竹植うる日は蓑と笠

登米市登米町寺池道場に登米神社(HP)がある。


 康平5年(1064年)、源義家が石清水八幡宮を辺室山に勧請。後世、その地を八幡崎と呼んだ。

 慶長11年(1606年)、八幡崎から寺池道場山麓に遷座。

明治6年(1873年)、稲荷神社を合祀。

昭和27年(1894年)11月、登米神社と改められた。

登米神社の石段


石段を登ると、芭蕉の句碑があった。


降らすとも竹植うる日は蓑と笠

出典は『笈日記』(大垣部)。「竹 木因亭」と前書きがある。

元禄5年以降の句とされる。

 芭蕉翁が元禄2年、おくのほそ道行脚の折、登米に一宿したことを記念して、明和7年(1770年)5月13日に当時の寺池の里、一宿庵社中の俳人10名が建立したものである。

 なおこの地の八幡境内に「降らずとも竹植うる日は蓑と笠」の句碑を建てておるが、これは芭蕉が五月十三日ここに来たというのに附会したので、句はこの地で読んだのではない。
 元禄2年(1689年)5月11日、芭蕉は石巻を立ち、平泉へ赴こうと北上川沿いに登米へ至り、その夜は登米で宿泊した。『奥の細道』に「十二日平泉と心ざし」、その翌日「戸伊摩と云所に一宿して」とあり、13日に登米で宿泊したと考えられていた。

随身門


登米神社社殿


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