芭蕉の句碑千 葉


叡慮にて賑ふたみや庭かまど

一宮町一宮に玉前神社(HP)がある。


玉前神社は延喜式内社

上総国一ノ宮である。

玉前神社の鳥居


社殿は平成の大修理中だった。

祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)

玉依姫命は豊玉姫命の妹。

 豊玉姫命は鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を出産の後、妹の玉依姫命にその御子を託して海へ去られた。

社殿の手前に芭蕉の句碑があった。


叡慮にて賑ふたみや庭かまど

『庭竈集』冒頭の句である。

享保13年(1728年)10月、『庭竈集』(越人編)刊。

碑陰に次の2句が見えるそうだ。

広き葉のくらべものなきはせをかな
   金波

   二条殿御代官月院社大宗匠

蝶鳥やこころの底のなき晴て
   何丸

明治元年(1867年)、建立。

 一宮町指定文化財(史跡)

芭蕉の句碑

 この碑は表面中央に「たかき屋にの御製の有難を今も猶 叡慮にて賑ふたみや庭かまど はせを」と大書されている。「はせを」は芭蕉のことであり、元禄元年(1688年)秋冬の頃の作で仁徳天皇の聖徳を称えたものである。左には「名にしおはゞ名取草より社宮哉 金波」を発句とする表十句を刻んである。

 背面には、上部に「無尽言」の題字、その下に149句を刻み、起名庵金波の芭蕉景仰の漢文銘があり、左端に「明治紀元戊辰晩秋 催主 千丁 河野五郎兵衛」とあり、上総千町村 (現茂原市千町)の俳人起名庵金波「河野五郎兵衛」一門によって建てらたもので、書も金波といわれている。

 金波は文化元年(1804年)岡山の井出家に生れ、俳句を学び起名庵を創始した。嘉永5年(1852年)千町村の河野家の養子として迎えられ、明治20年84歳で没した。

一宮町教育委員会

金波の句

引わけてとちらも笑ふすまひ哉


神輿があった。


明治39年(1906年)8月17日、河東碧梧桐は大原から一宮に行く。

大原から汽車。一の宮に宿を求めて風呂から上ると、黄昏の空に稲妻が頻りにひらめいておる。(上総一の宮にて)

   稲妻に旅情催うす句案かな


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