芭蕉の句碑新 潟


景清も花見の座には七兵衞

上越市高田南本町に正輪寺という寺がある。


正輪寺


臨済宗妙心寺派の寺である。

本堂の手前右手に芭蕉の句碑があった。


景清も花見の座には七兵衞

出典は『翁草』(里圃編)

元禄元年(1688年)、芭蕉46歳の句。

『蕉翁句集』(土芳編)は「貞享五辰ノとし」とする。

貞亨5年(1688年)9月30日、元禄に改元。

宝暦13年(1763年)10月12日、南嶺菴連中建立。

新潟で最も古い芭蕉の句碑のようである。

 この句は、松尾芭蕉が武士達の花見を通りすがりに見て詠んだものと思われる。「景清」とは平家の侍大将で「悪七兵衞景清」と言われた人並はずれた剛勇の士のことであり、「悪七兵衞と呼ばれた景清のような強い武士も、花見の席ではただの七兵衞になって花見を楽しんでいるようだ。」という内容の句で、翁草に掲載されている。

 宝暦13年(1763年)、地元南本町の俳人で、芭蕉の孫弟子と言われる南嶺庵らによって建てられた句碑である。

悪七兵衞景清は熱田神宮大宮司の娘婿だという。

 『平家物語』(巻十一)「弓流」において、源氏方の美尾屋十郎の錣(しころ)を素手で引きちぎったという「錣引き」が有名である。

『諸国翁墳記』に「花見塚 越後高田春日町正輪寺在 梅至建」とある。

南嶺庵梅至露川(月空居士)の門人。

宝暦13年(1763年)は芭蕉七十回忌、月空居士の二十三回忌にあたる。

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