「せっかく、力んで観音経を覚えたというとに、おれの嫁女は姿も見せんが」 漁師はそう思いながらも、魚籃の観音像を担いで村へ帰った。観音像たちまち村の評判になった。 「あれが魚籃の観音さまじゃげな」 「うん、網に掛かったかい、網掛観音じゃわい」 「観音さまじゃかい、お寺にあげにゃいかん」 そこで漁師はこの観音像を法寿山正光寺に、まつることにした。 漁師はのちのち、那珂郡の長者清水四十右衛門とよばれる、幸福な身分になった。そして、魚籃の観音は、いまなお宮崎市浮之城の正光寺の観音堂にまつられている。
『日本の民話』「魚籃の観音」 |