芭蕉の句碑


身に新ミて大根からし秋風

伊那市山寺の旧道に昌玄坂がある。


昌玄坂の登口に芭蕉の句碑があった。


身に新ミて大根からし秋風

出典は『更科紀行』

 貞亨5年(1688年)8月11日、芭蕉は木曽路に入り、中山道から善光寺道に出て、姨捨で十五夜の名月を賞した。

享和元年(1801年)秋、伯先と山寺連の建立。鈴木道彦書。

芭蕉の句碑の右に伯先の句碑があった。


三尺の雪のうへ照る月夜哉

文政4年(1821年)、伯先の三男蕣齢と伯先門人の建立。

昌玄(伯先)坂と芭蕉秋風塚

 伊那部の医師吉川養玄の子として宝暦5年(1755年)6月長男元茂(俳号伯先)が生まれた。江戸と京都で医学を学び勉学に勤しんで帰郷、山寺に定住中村を姓とした。

 医名を昌玄と名乗り名声は遠近に響き医生・寄宿生は数十名を下らなかった。

 ここ昌玄坂は彼の医名から名付けられた。坂頭には坎水園と呼び治療や家塾を兼ね後には寺子屋を併設し子等の教育にあたった。俳句儒学漢詩にも志を懐した。

 伊那部宿にある伯先桜は伯先が幼少の頃に植樹した枝垂桜である。

身にしみて大根からし秋の風
   芭蕉

三尺の雪のうへ照る月夜哉
   伯先

第七代当主 中村 徹

芭蕉の句碑に戻る