芭蕉の句碑
八九間空で雨ふる柳かな
結城市結城に釈迦堂がある。
釈迦堂
釈迦堂入口に「増田遷晁の文人碑」がある。
八九間空で雨ふる柳かな
元禄7年(1694年)春、芭蕉51歳の句。
『続猿蓑』巻頭の句である。
明治8年(1875年)、檀家の増田僊晁建立。
境内入り口の碑は、増田遷晁が建立したもので、表に芭蕉の句「八九間 空で雨ふる 柳かな」、裏には、遷晁が師と仰ぐ人物が、一堂に会し交遊するという、彼の夢が描かれています。
彼は、谷文晁の流れを汲み、各地を歴訪、日本画を学び、明治20年、65歳で永眠しました。
碑の裏に江戸時代の文人達が線刻され、漢詩や和歌・俳句が刻まれている。
上段に大石良雄、其角、嵐雪、芭蕉、徂來、中段に文晁、応挙、頼山陽、大雅、蕪村、蜀山人、下段に僊晁他7人ということだ。
万山重カラズ、君命重シ。
| 大石良雄烈士
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三日月の頃より待し今宵哉
| 其角
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古池や蛙飛こむ水の音
| 芭蕉翁
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蒲団着て寝たる姿や東山
| 嵐雪
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兀々陶々六十ノ春
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官無ク禄無ク自由ノ身
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悠然トシテ酒ヲ飲ミ悠然ト酔フ
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真ニ是レ太平無事ノ人ナリ
| 鵬斎老叟
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長き日を書画に遊びて十二月
| 東山蕪村大人
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鼠どの殿上人の真似をして
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滴れかかる四位の少相
| 蜀山人叟
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ふと出し雲に物いふ月見かな
| 鴬林堂遷晁
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いざきけや柳ばかりに風の吹く
| 玉操女
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「玉操女」は遷晁夫人。俗名はな。
半ば剥落していてよく分からない。
『諸国翁墳記』に「下總國結城郡結城町ニ建立 連中 八九間空て雨ふる柳哉」とある。この句碑は消滅したようである。
慶福山結城院満福寺釈迦堂
10世紀に創建され、15世紀の永享年間に久保田村字慶福に中興、間もなく結城城内の西館に移り、慶長年間に今の地に移されたと伝わります。
真言宗豊山派の寺である。
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