芭蕉の句碑


春の夜やこもり人床し堂の隅

桜井市初瀬の県道38号桜井都祁線を行く。


長谷寺手前の山腹に崇蓮寺という寺がある。


石段を上ると正面に「芭蕉翁古毛里塚」と刻まれた碑があった。


当寺境内に句碑あり」とある。

慈雲山崇蓮寺


浄土宗の寺である。

本堂に向かって左手に芭蕉の句碑があった。


春の夜やこもり人床し堂の隅

出典は『笈の小文』。「初瀬」と前書きがある。

   初 瀬

春の夜や籠人ゆかし堂の隅

足駄はく僧も見えたり花の雨   万菊丸

貞亨5年(1688年)3月、初瀬の長谷寺で詠まれた句。

碑陰に「田居加水 自天 寫楽 何來 建之」とある。

『諸国翁墳記』に「篭口塚  大和初瀬アリ 何来社中建之」とある。

『隠口塚集』が刊行されたようだが、未詳。

こもりくの初瀬の堂の片隅に、まきもくのひの木笠うちしきて、ゆかしき春の旅寝姿は、よきもの見たるよし野の労れを休めんとなるべし。されば其吟魂のおりおりにこの境にやどり来まさむことを願ひて、草をくさきり、土をかきあつめて一基の碑をいとなみ建てるものは、やまとの好士何來なり。そのはじめに筆をたてゝ手むけの句を奉るものは、平安の蕪村なり。蕪村百拝して書。

   草臥てねにかへる花のあるじかな。

『蕪村文集』(『隠口塚』序)

何来は初瀬の人。凉袋に学んだという。

山口誓子は崇蓮寺に芭蕉の句碑を訪ねている。

 句碑のある崇蓮寺へは教えられて行った。門前町の鉤の手を南にすこし行った左側に、「よし久」という家がある。そこから右へ入る道が寺の道だ。寺は正面に見える。階を昇ったところに石が立っている。「芭蕉翁古勿里塚」と読める。「こもり塚」と読ますのだろう。

 東へ向く門を潜って石畳を行けば、ひとりでに句碑に達する。梅の古木の下に立っている。

   春の夜やこもり人(ど)床し堂の隅

 低い自然石の句碑。字が薄い。携えて行った書の拓本で読めた。


長谷寺へ。

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