芭蕉の句碑


能見れは薺花咲く墻根かな

楡山神社から深谷市宮ヶ谷戸の住吉神社へ。


住吉神社


住吉神社に芭蕉の句碑があった。


能見れは薺花咲く墻根かな

出典は『続虚栗』

貞亨3年(1686年)、芭蕉44歳の時の句。

(なずな)は春の七草のひとつ。ペンペン草のこと。

文化10年(1813年)2月、中化建立。

碑の裏には化一の句「垣根から廣かり出たり春の水」が刻まれている。

化一は深谷市宮ヶ谷戸の人六代高野武右衛門園充。別号未央亭、唯阿房。

文化14年(1817年)5月23日、68歳で没。

中化は化一の子。

嘉永5年(1852年)8月23日、没。

住吉神社には芭蕉の句碑といわれるものがもうひとつある。


秋の野や草の中行く風のおと

出典は宝暦年間に成立したと言われる『俳諧百歌仙』(旨原編)。

俳諧一葉集』に「考證」として収録。

『芭蕉句鑑』は「元禄五甲(ママ)年」に収録。

存疑句である。

昭和13年(1938年)秋、建立。茂木秋香筆。

深谷市原郷の愛宕神社にある句碑も茂木秋香筆。

文久3年(1863年)、茂木秋香は深谷市矢島に生まれる。

昭和16年(1941年)12月30日、79歳で没。

門人に石沢無腸がいる。

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