芭蕉の句碑石 川


風かをる越の白嶺を國の華

白山市三宮町の手取川沿いに白山比盗_社(HP)がある。


社務所の前に芭蕉の句碑があった。


風かをる越の白嶺を國の華

この俳句は元禄2年(1689年)7月、俳聖・松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の途次、北陸の中天に麗しく聳える白山の姿を讃えて詠んだもので、元禄5年(1692年)の中秋、芭蕉が生存中に出版された『柞原(ははそはら)集』(白山比め神社奉納句集)の巻頭に記載されている。

句碑は、昭和36年(1961年)5月、鶴来町(現・白山市)在住の郷土史家・武閑雲翁が古希の記念として建立。奉納したものである。

白山比め神社社殿


霊峰白山を御神体とする。

全国白山神社の総本宮。

加賀一ノ宮である。

「はくさん」ではなく「しらやまひめ」だそうだ。

『柞原集』には「春なれや」とある。

春なれやこしの白根を國の花

   此句芭蕉翁一とせの夏越路行脚の時、
   五文字風かをると置てひそかに聞え侍
   るをおもひ出て、卒爾に五文字をあら
   たむ。


 「芭蕉翁一とせの夏越路行脚の時」とあるが、芭蕉の「越路行脚」は秋である。

 『芭蕉俳句集』(潁原退蔵校註)には「考證の部」に「加賀へ文通に」として収録。

昭和37年(1962年)、高野素十は白山神社社務所で句会。

   「あらうみ」に招かれ竹女等と加賀一ノ宮、白山神社に詣で同社務所
   にて句会

あすなろう档(あて)とも思ふ夏木かな

(ゆずりは)もいま夏木なるめでたさよ

夏川に石の柱の崩れ落ち

『芹』

 档(※「木」+「當」)は能登ヒバ。昭和41年(1966年)に「石川県の木」に指定された。

小松市矢崎町の国道305号近くに小松食堂があった。

小松食堂の前の花壇に芭蕉の句碑があったそうだ。

小松食堂も廃業して、庭に芭蕉の句碑がある。


春なれや越しの白根を国の華

昭和58年(1983年)5月、建立。

芭蕉の句碑石 川〜に戻る