芭蕉の句碑群 馬


しはらくは花のうへなる月夜かな

JR上越線沼田駅から線路沿いに北へ。


清水峠越往還である。

上杉謙信が関東進出の道として利用したといわれているそうだ。

江戸時代に三国街道が整備され、この街道は通行が禁止された。

沼田市白岩町の線路と反対側に芭蕉の句碑があった。


しはらくは花のうへなる月夜かな

台座に句が書いてある。

出典は『初蝉』(風国編)。

貞亨5年(1688年)春、芭蕉45歳の句。

『はせをつか』(楓幻亜編)に収録されている。

 県下に多い句碑の一つであるが、これは沼田市白岩の上越線鉄路沿いの昔の越後道に面した石ガキの角に積込まれている異風の存在。縦1尺6寸、横3尺余の石面に高吟と“はせを”の3字を散らし書にしてあり、これだけで完全な芭蕉塚なのに、更にそれを台石にして野石を立て、表へ芭蕉翁、裏へ琵琶庵素広と彫ってある不格好なもの。明治5年没した中島久太夫の建立だが、今では文字がほとんど読めない。元禄元年『初蝉』の中の句。

『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著)

 中島久太夫は休太夫襲名。後、雪堂と号した。琵琶庵素郊。松茂庵父は桃林舎素牛、祖父は松茂庵布汁。

明治5年(1872年)、没。

観音堂墓地へ。

芭蕉の句碑群 馬〜に戻る