芭蕉の句碑
名月や湖水に浮ふ七小町
諏訪市下金子に八幡社がある。
下金子八幡社
祭神は誉田別尊。
天正12年(1584年)、藩主諏訪頼忠が金子城築城の際、艮(北東)の方角に鬼門除け守護神として勧請した鎮守である。
社殿の右手奥に芭蕉の句碑があった。
花本大御神
名月や湖水に浮ふ七小町
出典は『和漢文操』(蓮二房編)。
「月見ノ賦」は「芭蕉翁」とあるが、支考の作と見なされている。
元禄4年(1691年)8月15日の月見である。
「七小町」は小野小町伝説に取材した7つの謡曲。
『初蝉』(風国編)には「名月や海に向かへば七小町」とある。
元禄3年(1690年)、芭蕉47歳の句である。
明治19年(1886年)、建立。岩波其殘書。
文化12年(1815年)5月12日、其残は文出村の山田家に生まれる。幼名は鉄三。
天保元年(1830年)、高島藩士の久保島若人に師事。
安政3年(1856年)、母の実家の岩波家を継ぐ。
明治27年(1894年)4月5日、80歳で没。
文学の道公園に句碑がる。
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