芭蕉の句碑


四方より花吹入れて鳰の波

太田市堀口町の旧家に芭蕉の句碑があるというので、行ってみた。


旧家の広い庭の植え込みに芭蕉の句碑があった。


四方より花吹入れて鳰の波

出典は「洒落堂記」。『白馬』(正秀・洒堂撰)に収録されている。

 元禄3年(1690年)、芭蕉は浜田珍夕の草庵「洒落堂」を訪れ、草庵を讃えて「洒落堂記」を書いた。

洒落堂記

 山は静かにして性を養ひ、水は動いて情を慰す。静・動二つの間にして、住みかを得る者あり。浜田氏珍夕といへり。目に佳境を尽し口に風雅を唱へて、濁りを澄まし塵を洗ふがゆゑに、洒楽堂といふ。 門に戒幡を掛けて、「分別の門内に入ることを許さず」と書けり。 かの宗鑑が客に教ゆる戯れ歌に、一等加へてをかし。且つそれ簡にして方丈なるもの二間、休・紹二子の侘びを次ぎて、しかもその矩を見ず。木を植ゑ、石を並べて、かりのたはぶれとなす。そもそも、おものの浦は、瀬田・唐崎を左右の袖のごとくし、湖をいだきて三上山に向ふ。湖は琵琶の形に似たれば、松のひびき波をしらぶ。比叡の山・比良の高根をななめに見て、音羽・石山を肩のあたりになむ置けり。長等の花を髪にかざして、鏡山は月を粧ふ。淡粧濃抹の日々に変れるがごとし。心匠の風雲も、またこれに習ふなるべし。

ばせを

四方より花吹き入れて鳰の波

『卯辰集』『泊船集』には「鳰の海」とある。

明治14年(1881年)3月、新島徳翁建立。80歳の時である。

石は自然石。

碑の裏に玄香庵市月の書で句が刻まれている。

夜の雨の晴る匂ひや花の雲

龜も甲顕す岸の若草

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