芭蕉の句碑


むかしきけ秩父殿さへすまふとり

深谷市畠山に畠山重忠史跡公園がある。


畠山館跡である。

畠山重忠公の像


 一ノ谷「鵯越えの逆落とし」で、怪力自慢の畠山重忠は愛馬「三日月」が傷付くのを嫌い、背中に馬を背負って崖を駆け降りたという。

畠山重忠公の墓


 重忠の子重保は謀叛の企てがあるとして北条氏に殺され、元久2年(1205年)6月22日に重忠も武蔵二俣川で義時と戦って戦死した。

重忠42歳、重保23歳の時である。

芭蕉の句碑があった。


むかしきけ秩父殿さへすまふとり

出典は『芭蕉庵小文庫』

『翁草』には「むかし聞ケ秩父殿さへすまひ取」とある。

『蕉翁句集』(土芳編)に「元禄四未ノとし」とある。

秩父殿は畠山重忠のこと。

 『古今著文集』に畠山重忠が関東で名高い「長居」という相撲取りをうち負かした話があるそうだ。

昭和52年(1977年)11月3日、石沢無腸門下建立。

 畠山重忠公は秩父氏六代の裔にしてこの地に生る年少の頃より怪力にして大石を投けしことなと口碑に残れりこゝに芭蕉翁の公を讃えし一句を選ひ石沢無腸門下相はかり小碑を建立す

明治31年(1898年)、石沢無腸は寄居町に生まれた。無腸は蟹の異名。

茂木秋香の門人。

寄居町に句碑がある。

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