一ノ谷「鵯越えの逆落とし」で、怪力自慢の畠山重忠は愛馬「三日月」が傷付くのを嫌い、背中に馬を背負って崖を駆け降りたという。 |
重忠の子重保は謀叛の企てがあるとして北条氏に殺され、元久2年(1205年)6月22日に重忠も武蔵二俣川で義時と戦って戦死した。 |
『翁草』には「むかし聞ケ秩父殿さへすまひ取」とある。 『蕉翁句集』(土芳編)に「元禄四未ノとし」とある。 |
『古今著文集』に畠山重忠が関東で名高い「長居」という相撲取りをうち負かした話があるそうだ。 |
畠山重忠公は秩父氏六代の裔にしてこの地に生る年少の頃より怪力にして大石を投けしことなと口碑に残れりこゝに芭蕉翁の公を讃えし一句を選ひ石沢無腸門下相はかり小碑を建立す |