芭蕉の句碑


しばらくは花の色なる月夜かな

太田市世良田町に八坂神社がある。


八坂神社


祭神は素戔嗚尊。

拝殿の右手に芭蕉の句碑があった。


しばらくは花の色なる月夜かな

出典は『芭蕉句選』(華雀編)。

『初蝉』(風国編)には「花の上なる」とある。

 貞亨5年(1688年)春、「笈の小文」の旅の途上で詠まれた句。服部土芳『蕉翁句集』(宝永6年刊)には「よし野にて」と前書きがある。芭蕉45歳の時である。

 太田市指定重要文化財
芭蕉句碑

ばせを翁

しばらくは
 花の色なる
   月夜かな

      春秋三世碓嶺書

 この句碑は文政9年(1826年)建立で、仁井田碓嶺の筆になる芭蕉句碑である。碓嶺は安永9年(1780年)に上州碓氷郡坂本宿中宿に生まれる。師の常世田長翠の初号都久裳にちなんで九十九坊といったり、昨日庵とも号した。後年には師長翠の没後、小蓑庵を継いで上毛俳壇に師の俳風を伝えた。

 この八坂神社の句碑に「春秋三世碓嶺書」とあるところから、碓嶺が加舎白雄、長翠の後に春秋庵を継いだ事実が証明される点で、俳諧資料としても貴重なものとなっている。

 碑陰には、碓嶺の指導を受けた人達であろう造立者(志塩、梅雪、兎月ら)20名の地元俳人名を列ねて、往時当地方の俳諧の盛行を偲ばせている。

太田市教育委員会

「志塩、兎月」は常世田長翠の『諸郡銘録』に見える。

兎月   世良田 
   菊池忠次郎

志塩   
   茂木源蔵

志塩の句

雪の日や柿の枝ふりよく見たり

夏草の雨にたち葉ハなかりけり

冠稲荷神社奉納俳額

人の来て火ともす迄の桜かな


ゆふ立の人住島にとゝけかし


夕立の人住(む)山にとゝけかし


東風吹や野にさし出し門がまへ


蝙蝠や三輪のしるしも暮る時


 昭和5年(1930)9月14日、斎藤茂吉土屋文明は八坂神社境内で行われた木崎節を見物した。2人は長楽寺に立ち寄ったそうだ。

八坂神社近くの民家にも芭蕉の句碑があった。


茂みの中にあるので、写真はうまく撮れない。

名月や池をめくりて終夜

出典は『あつめ句』(貞享4年編)。

貞亨3年(1686年)8月15日、芭蕉庵で月見の宴を催した折の句。

天保2年(1831年)3月、菊池兎月建立。

兎月73歳の時である。

石は自然石。

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