芭蕉の句碑〜新 潟〜
あけほのや二十七夜も三日の月
新発田市諏訪町に「石泉荘」がある。
かつては「花菱」という料亭であった。
離れ座敷
約1,500 坪の庭園で、庭園の中央を川幅約4mの新発田川が流れる。
茶室の前に芭蕉の句碑があった。
あけほのや二十七夜も三日の月
出典は『芭蕉庵小文庫』。
『あつめ句』には「あけゆくや」とある。
貞亨3年(1686年)秋、芭蕉43歳の句。
明治30年(1897年)8月、花菱建立。千秋庵桃義書。
明治37年(1902年)6月、「花菱」の建物は火災で消失。
料亭「花菱」は他から現在の建物を移して営業を続けていたが、まもなく他所へ移ってしまう。
その後、新津で製油業を営む石崎家の別邸となった。
旧石崎家住宅
平成19年(2007年)、茶室(1895年)と離れ座敷(1905年)は国登録有形文化財となる。
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