芭蕉の句碑
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新 潟
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あら海や佐渡に横たふ天の川
糸魚川市田海に西蓮寺という寺がある。
西蓮寺
浄土真宗本願寺派
の寺である。
本堂の手前右側に紫陽花の花に埋もれて「山遠水長の碑」があった。
あら海や佐渡に横たふ天の川
芭蕉の句を中央にして右に飯尾宗祇、安原貞室の句、左に岩田涼菟、各務支考の句が刻まれているが、風化して読めない。
糸魚川市寺町の説誠庵にあった「山遠水長」の碑に句を刻んだもの。
碑銘によると、文政5年(1822年)、建立。
芭蕉は『奥の細道』で安原貞室のことを書いている。
あるじとする物は久米之助とていまだ小童也。かれが父誹諧を好み、洛の貞室若輩のむかし爰に来りし比、風雅に辱しめられて、洛に帰て貞徳の門人となつて世にしらる。功名の後、此一村判詞の料を請ずと云。今更むかし語とはなりぬ。
『奥の細道』(山中)
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