芭蕉の句碑山 形


雲の峯いくつ崩れて月の山

寒河江市八幡町の高台に寒河江八幡宮がある。


 本社は寛治7年(1093年)8月15日に源頼義・義家父子が前九年の役の戦勝に感謝して京都男山八幡宮の分霊を字八幡原に勧請、その後建久2年(1191年)地頭大江親廣が鎌倉八幡宮の御分霊を勧請して現在地に社殿を創建、字八幡原の八幡社を合祀して当社を寒河江荘総鎮守に定めたという。

寒河江八幡宮


貞亨3年(1686年)、本殿建築。

安永4年(1775年)、拝殿建築。

寒河江市指定有形文化財である。

社殿の右手奥に芭蕉の句碑があった。


雲の峯いくつ崩れて月の山

出典は『奥の細道』。

 元禄2年(1689年)6月6日(陽暦7月22日)、芭蕉は月山頂上まで登り、山小屋に一夜を明かして、7日には湯殿山神社に詣でた。

もと米沢道と柴橋道の分岐点にあったもの。

明治初期には既に神社にあったというが、建立年は不詳。

天保13年(1842年)、寒河江八幡宮に俳額を奉納。選者は一如庵尊阿

天保15年(1844年)、寒河江八幡宮に俳額を奉納。選者は工藤稲州

 嘉永4年(1851年)頃、桑折の俳僧一如庵遜阿は寒河江八幡宮を訪れている。

寒河江八幡宮 國主大江廣元公鎌倉より奉遷、四百余歳の古社也

露白う神さひけらし杉の奥


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