芭蕉の句碑愛 知


寿久三行や馬上尓氷る影本うし

田原市田原町新町に龍泉寺という寺がある。


龍泉寺山門


山門を入ると左手に芭蕉の句碑があった。


寿久三行や馬上尓氷る影本うし

出典は『笈日記』

『如行子』に「冬の田の馬上にすゝむ影法師」とある。

天明2年(1782年)10月12日、平山梅人建立。

 尾張藩を追われた愛弟子・杜国を訪ねて貞享4年厳冬、潮風の吹きさらしを保美に向かう芭蕉は、天津畷(豊橋市杉山町大津地内)のあたりで、こう詠んだのでした。

“すくみ行くや馬上に氷る影法師”

 寒風に身のすくむ思いで馬上の自分の姿は氷りついた影法師のようであると言うのです。

 一般には初五が「冬の日や」となった句として知られています。この碑は天明2年(1782年)10月12日芭蕉歿後88年の忌日に田原の俳人たちが芭蕉を偲んでここに建てたもので、蕉門の杉山杉風の採茶庵を復興した、田原藩士平山留蔵(俳名梅人)が建立の中心人物であったという記録が残っています。

 尚、当時梅人から施入された芭蕉像一幅と芭蕉自筆の句帖切も当寺に現存しています。

龍泉寺

清谷山龍泉寺


真宗大谷派の寺である。

昭和40年(1965年)、山口誓子は龍泉寺を訪れて芭蕉の句碑を見ている。

 街中の寺で、ゆるい石段を登り、山門を潜って左手へ廻ると、翁塚がある。墓碑のような句碑だ。梅の老樹で暗い。

   すくみ行や馬上に氷る影ぼうし

 「芳野紀行」(貞亨四年)には「冬の日や」となっている。天津畷はいまの豊橋市大津だが、「田の中に細道ありて、海より吹上る風いと寒き所」であった。

 芭蕉は馬上にあって、三河湾から吹いて来る西の寒風を行く。身をすくめて行く。「馬上に氷る影ぼうし」を、私は「馬上に」「氷る影ぼうし」と切って読む。すると「馬上に」立っている「氷る影ぼうし」が眼に浮ぶ。影ぼうしは人そのもの、芭蕉自身である。氷る芭蕉である。元禄五年に芭蕉は

   埋火や壁には客の影ぼうし

という句を作ったが、この「影ぼうし」も芭蕉自身であった。

 ただしかし、「すくみ行や」とあって、「氷る」とあるのは、実作の立場から云うと、くどい。

 天明二年の建立。「寿久み行や」と書いてある。


昭和62年(1987年)4月、阿波野青畝は龍泉寺の芭蕉句碑を見ている。

芭蕉の句碑愛 知〜に戻る