芭蕉の句碑


古池や蛙飛ひこむ水の音

八戸市類家に「芭蕉堂公園」がある。


芭蕉堂


「芭蕉堂公園」の由来

 この「芭蕉堂公園」は昭和12年、北村益(明治元年〜昭和26年 政治家)の古希を記念して建立されたもので長横町の私邸から名石や芭蕉・銀杏等を配植し、また芭蕉の句碑や筆塚などあって俳聖芭蕉を敬仰しその正風俳諧を鎮守するところの小公園で当初は百仙洞公園と称した。

 古くから類家地区の人々はここを芭蕉堂公園と呼びなれ親しんでおり平成16年、地区の要望により「芭蕉堂公園」と改名した。

 お堂の中には宮本重良作の木彫像(昭和11年第23回日展に出陳)が配置されており元禄年間の「奥の細道」を旅した松尾芭蕉の姿とされ、旅人芭蕉翁像と言っている。

北村益(きたむらます)

1868年〜1951年。旧八戸町長横町生れ。町議、町長、県議を努める。「八戸が発展しないのは党派の小競り合いの弊害であり小さな利害論にのみ日を暮らす時ではない」とし、いわゆる「八戸論」「大八戸進展論」を唱えた。政界引退後は風流人として暮らし俳号を百仙洞古心と称し、300年の歴史を持つ八戸俳壇の中興の祖と評価される。

平成17年10月吉日建

芭蕉の句碑が2基あった。



古池や蛙飛ひこむ水の音

出典は『蛙合』(仙化編)。

貞亨3年(1686年)春、深川芭蕉庵で詠まれた句。



名月や池をめくりてよもすから

出典は『あつめ句』(貞享4年編)。

貞亨3年(1686年)8月15日、芭蕉庵で月見の宴を催した折の句。

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