芭蕉の句碑


山中や菊ハたをらぬ湯の匂ひ

霊泉寺温泉共同浴場の裏に白山神社がある。

その昔平維茂(たいらのこれもち)が独鈷山(とっこさん)に於て鹿狩のおり、侍女数人を連れ、紅葉狩をしている美女に呼び止められ酒を勧められた。 酔ってうたゝねをしていると夢の中に白山大権現が現われて「お前の相手をしている女は鬼女であるぞ」とお告げを受け維茂が驚いて目を覚ますと間一髪鬼女が維茂に襲いかゝろうとするところであった。維茂は剣をとって立ち向かいついに鬼女を討ちとったが、疲れがひどく急に体力が衰えて来た。そしてこの地にさしかゝると世にも不思議な音楽が聞こえ、七彩の虹が山の間に見えるので近寄ってみると岩の間から温泉がほとばしり出ていた。さっそくこの湯を浴びたところみるみるうちに体力が回復したので維茂はこゝに白山神社と寺を建立した。

白山神社の右手に芭蕉の句碑があった。


山中や菊ハたをらぬ湯の匂ひ

出典は『奥の細道』。

 元禄2年(1689年)7月27日(陽暦9月10日)、芭蕉は山中温泉を訪れ、8月6日(陽暦9月19日)まで「和泉屋」に逗留。

   温泉に浴す。其功有明に次と云。

山中や菊はたおらぬ湯の匂

『奥の細道』

「有明」は有馬温泉のこと。

明治17年(1884年)、建立。雨路書。

雨路は本名矢彦知充。塩尻北小野の人。別号一茶庵、芭蕉庵。

明治23年(1890年)、雨路は霊泉寺温泉に移住。

大正9年(1920年)、89歳で没。

芭蕉の句碑の右に杉風の句碑があった。


明月や爰は朝日もよい處

『陸奥鵆』に「深川指月菴」とある。

同じく雨路の書。

芭蕉の句碑の左には雨路の辞世の句碑があった。


明月やこゝらかおれの死にところ

大正10年(1921年)9月、建立。

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