寛政5年(1793年)、芭蕉の百回忌に松阪の俳壇一葉菴社中が、翁の真蹟「待雪一句」を刻み、矢川の遍正院に建てたものが、何時の頃か此処来迎寺に移されたものです。 |
初雁や芦火に背く海人か顏 | 一葉菴鳥醉 |
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行秋や拭ひ柱におのか影 | 二世呉扇 |
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保つ保つと夏爐になしぬ | 三世滄波 |
元文4年(1740年)頃、呉扇は江戸で柳居の門に入る。 延享3年(1746年)7月、白井鳥酔は松阪を訪れ、呉扇の世話で一葉庵に入る。 |
爰に菴あり。一葉庵と呼ぶ、これ也。烏翁延享のはじめ長途の遊袋をときてあるじしたまふ。其折にふれし名なりとぞ。 |
明和8年(1771年)秋、加舎白雄は松阪を訪れ、鳥酔の遺跡一葉庵に入る。 |
勢南一葉菴にありしころ、さかりなる桃の一枝を恵れつゝ、けふの花にさしそへて酒酌けるに。 |
桃に菊けふを盧生が現かな |
明和9年(1772年)2月、『文くるま』(白雄編)。竹雨舘呉扇序。涵月楼滄波跋。 |