栃木県の矢板市長井に「御申塚(おさるづか)の芭蕉句碑」があるというので、行ってみた。 |
元禄2年(1689年) 4月3日(陽暦5月21日)、芭蕉が『奥の細道』の旅で玉生から黒羽に向かった道である。 |
一 同三日 快晴 。辰上尅、玉入ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。
『曽良随行日記』 |
『諸国翁墳記』に「下野国鹽谷郡伊吹山麓鹽谷験院者芭蕉翁奥羽御行脚御止宿之精舎也 鶯雨坊蕉山建之」とある。 「御申塚(おさるづか)の芭蕉句碑」の近くに剣神社があり、この辺りは「つるぎ」と言われている。「つるぎ」の旧家に塩谷さんという家があり、その先祖が塩谷院秀賢だそうだ。 |