芭蕉の句碑栃 木


そのままに月もたのまじ伊吹山

 栃木県の矢板市長井に「御申塚(おさるづか)の芭蕉句碑」があるというので、行ってみた。

国道461号で矢板市街を抜け、東北自動車道の手前で農道に入る。


国道461号は日光北街道。

 元禄2年(1689年) 4月3日(陽暦5月21日)、芭蕉が『奥の細道』の旅で玉生から黒羽に向かった道である。

一 同三日 快晴 。辰上尅、玉入ヲ立。鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。

『曽良随行日記』

田植えが終わったばかりである。


御申塚(おさるづか)に芭蕉の句碑があった。


畦道から見えるのは裏側。

句碑の表側


そのままに月もたのまじ伊吹山

出典は『笈日記』(支考編)。

『後の旅』(如行編)には「そのまゝよ」とある。

元禄2年(1689年) 8月21日、芭蕉は『奥の細道』の旅で大垣に到着。

大垣藩士高岡三郎(俳号斜嶺)亭に招かれて詠んだ句。

高原山が伊吹山のように秀麗なのでこの句を選んだもの。

句碑は安山岩で、塩谷院秀賢の建立したものと伝えられるそうだ。

 『諸国翁墳記』に「下野国鹽谷郡伊吹山麓鹽谷験院者芭蕉翁奥羽御行脚御止宿之精舎也 鶯雨坊蕉山建之」とある。

 「御申塚(おさるづか)の芭蕉句碑」の近くに剣神社があり、この辺りは「つるぎ」と言われている。「つるぎ」の旧家に塩谷さんという家があり、その先祖が塩谷院秀賢だそうだ。

剣神社へ。

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