の句碑を建てゝその風雅の道を偲んた。郷人呼ひて雲雀塚といふ。
この句『續虚栗』に載せられ、翁の壯年期の作と推定される。翁が日夜私淑した西行の詩精神を渾化した無著の心を懷しむと共に、凝滯せぬ雲雀の聲の無心さをよく現はしている。
春の日の駘蕩の趣と何か悠久なるものへのいさなひをさへ感しさせる。眞にこの句この碑ほとこの地の景物たる雲雀を讃美するに値したものはなかつた。しかし星霜の久しき遂に名は碎け文字はうすれて鑑賞に堪へられなくなつた。先に蝶園秋香老これを愁へ、この度岡部村文化会の有志これを悲しみ雲雀塚の再建を志し、新たに句の揮毫を信濃なるからむしの主蕾丈大人その由来の文を余に嘱し石に鐫して後代に遺し、長く蕉風の雅懐を傳へることになった。
行人のこの地に立って雲雀の声に耳を傾け、翁の句を口すさむことかあれは、こそなき幸てある。
昭和三十二丁酉年十月十二日
埼玉県俳句連盟顧問籬窓山口平八撰
蝶園茂木秋香門人江南鳥塚勇三郎書