芭蕉の句碑


鶯や柳のうしろ藪の前

伊勢崎市東小保方町にあずま水生植物公園がある。


あずま水生植物公園に芭蕉の句碑があった。


鶯や柳のうしろ藪の前

出典は『続猿蓑』(沾圃編)。

『蕉翁句集』(土芳編)は「元禄五甲(ママ)ノとし」とする。

天保14年(1843年)、芭蕉百五十年忌に萩原詠帰建立。

『はせをつか』(楓幻亜編)に収録されている。

芭蕉句碑

 この芭蕉句碑は天保14年(1843年)に萩原詠帰によって建立されました。もともとは伊勢崎・足利通と境・大間々通が交わる下の辻にたてられていたもので、台石の正面は道しるべになっています。

 碑の正面には、松尾芭蕉と萩原詠帰のふたりの俳句が並んで刻まれています。

鶯や柳のうしろ藪の前
   芭   蕉

ふるさとやそだちあふたる萩小松
   桐園詠帰

 萩原詠帰は東小保方村台の人で、当時の上州俳諧の一大勢力だった伊勢崎の栗庵似鳩に師事していましたが、やがて寛政8年(1796年)俳句で身を立てるため江戸へでました。江戸では市ヶ谷御門前に居を構えて桐園詠帰と号し、以後『佐野の舟はし』『みちのくふり』など数多くの句集を世に出しました。

 晩年になって郷里に芭蕉句碑の建立を思い立ちましたが、句碑の完成を見ずしてこの世を去りました。

 石工は伊勢崎の中村元右ヱ門と内田民次郎で、書は江戸在住の中嶽義路です。

伊勢崎市教育委員会

天保14年(1843年)、詠帰没。享年は不明。

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