明治27年(1894年)、江花坡石が喜寿の記念に建立。江戸の宗匠島本青宜の書。 |
明治26年(1893年)7月19日、正岡子規は「はてしらず」の旅に出る。子規は出発前には林江左の紹介で旧派宗匠三森幹雄や島本青宜に会っている。 |
一里塚は主要な街道の両側に一里(4キロメートル)ごとに設けられた塚のことである。 町内には5カ所に設けられたと云われるが、現在は諏訪神社前の塚と、白坂・宝川間の塚が形を残すのみである。 この塚も明治三方道路の開削で片側が完全に消滅したが、江戸時代の交通史を物語るものとして重要なものである。 |