芭蕉の句碑


無き人の記念も今や土用干

伊勢崎市境上武士に能満寺という寺がある。


摩尼珠山虚空蔵院能満寺


新義真言宗の寺である。

俳人洗耳は能満寺の僧。

能満寺境内に芭蕉の句碑があった。


無き人の記念も今や土用干

出典は『猿蓑』

貞亨5年(1688年)、芭蕉45歳の句。

千子が身まかりけるをきゝて、みのゝ国より去来がもとへ、申しつかはし侍りける

無き人の小袖も今や土用干
   芭蕉

貞亨5年(1688年)5月15日、去来の妹千子(ちね)没。

 「土用干し」は夏の土用に衣類や本を干して風を通し、虫のつくのを防ぐこと。虫干し。夏干し。

明治36年(1903年)、小泉茂質桃樹園華友建立。二世楊州庵半湖の書。

 二世楊洲庵半湖は伊与久の俳人高井半湖。玉村の俳人羽鳥半海に楊州庵の号を譲られた。

大正5年(1916年)、72歳で没。

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