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尾張の国、鳴海の浦を過ぐるに、夕汐たゞ満ちに満ちて、こよひ宿らむも中間に、汐満ち来なば、こゝをも過ぎじと、あるかぎり走りまどひ過ぎぬ。 |

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満潮時にはすぐ下まで潮に浸かり、干潮の時は広大な洲ができて鳴海潟と呼ばれ、千鳥の群が飛びかっていたという。 |

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貞亨5年(1688年)7月10日、鳴海の児玉重辰宅興行歌仙の発句である。 |
| 十日 | 問屋源右ニて歌仙俳諧有り |
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| 十一日 | 祭礼桃青同道ニテ排 |
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『知足斎日々記』 |
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此句はじめは「初秋や海やら田やら一みどり」として「海も青田」は再案なり。
『芭蕉翁句解参考』(月院社何丸) |
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貞亨5年(1688年)7月11日、芭蕉来鳴。弟子の下里知足(千代倉本家当主・寂照トモ)の案内で成海神社祭礼に参詣の折の一句である。 季寄せに「初秋」の句として載せられ有名である。 当時は、伊勢の海が深く鳴海に湾入し、鳴海潟と呼び歌枕に宣伝されていた。汐田・塩浜の地名が、鳴海から星崎に遺されている。 芭蕉は、神社の高台から望見し、眼下の稲田とそれに続く鳴海潟の海面が青一色の初秋の爽やかさに溢れている情景を謳歌したのである。 鳴海町が名古屋市に合併された時の(緑区)の名の出典ともされた。 |
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『知足斎日々記』によれば、7月7日に芭蕉は鳴海にやって来て11日に成海神社祭礼に参詣、14日まで鳴海に滞在している。 |

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「延喜式神名帳」に「東海道 尾張國 愛智郡 十七座 大四座 小十三座 成海神社」とある。 |
