するとここにまた、突拍子もない異説があって、古池のお株が、甲州の方へもって行かれそうになっている。貞享2年(1685)の春ごろ、芭蕉は『野ざらし紀行』の旅の帰り道に、甲州都留郡(今の北都留郡)野田尻と鶴川とのあいだなる坂を、ビッコをひきつつ登っていた。 坂を上りつめると一面の桑畑で、畑の一隅に芝生でかこまれた古池があった。池の水は蒼い藻に蔽われて、何百年とも知れぬほど、古びて見えた。芭蕉は、芝生に腰をおろして、脚絆の上から脚をさすっていると、ドブンと蛙が池の中へとびこんだ──のだと、甲州人が主張してきかない。現にその池のほとりには、古池の句と、雲雀の句とを刻した碑が立っているのが、何よりの証拠だというのである。
矢田挿雲『江戸から東京へ』(向島・深川) |