芭蕉の句碑山 梨


古池や蛙飛こむ水の音

上野原市大椚の中央自動車道沿いに長峰砦跡がある。


長峰砦跡


上野原の加藤丹後守が築いた砦。

加藤丹後守は武田信玄の家臣である。

長峰砦跡に芭蕉の句碑があった。


古池や蛙飛こむ水の音

出典は『蛙合』(仙化編)。

貞亨3年(1686年)春、深川芭蕉庵で詠まれた句。

長峰砦跡には「濁り池」、「殿の井戸」と呼ぶ泉があったそうだ。

この池で詠まれた句であるとの言い伝えが甲州にあったようだ。

 するとここにまた、突拍子もない異説があって、古池のお株が、甲州の方へもって行かれそうになっている。貞享2年(1685)の春ごろ、芭蕉は『野ざらし紀行』の旅の帰り道に、甲州都留郡(今の北都留郡)野田尻と鶴川とのあいだなる坂を、ビッコをひきつつ登っていた。

 坂を上りつめると一面の桑畑で、畑の一隅に芝生でかこまれた古池があった。池の水は蒼い藻に蔽われて、何百年とも知れぬほど、古びて見えた。芭蕉は、芝生に腰をおろして、脚絆の上から脚をさすっていると、ドブンと蛙が池の中へとびこんだ──のだと、甲州人が主張してきかない。現にその池のほとりには、古池の句と、雲雀の句とを刻した碑が立っているのが、何よりの証拠だというのである。

矢田挿雲『江戸から東京へ』(向島・深川)

日野の花岳寺十六世八峰、建立。

芭蕉の句と並んで連二房の句が刻まれている。

あかりてはさかりて明けては夕雲雀

連二房は各務支考の別号。

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