『旅舘日記』(許六編)には「十月三日旅亭をたゝれける日初しくれふりけれは」と前書きがある。 元禄5年(1692年)10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙の発句。 |
この芭蕉句碑は、高瀬地方の俳諧の第一人者一円窓龍如坊(玉名町出身)の建立によるものです。 龍如坊は俳諧を能くし、仏道修行の傍ら美濃(岐阜県)で青木奚花坊の教えを受け、俳諧の地方宗匠たることを免許され、その証(あかし)として文台(ぶんだい)を授かりました。高瀬に帰った龍如坊は、俳諧をたしなむ仲間と「高瀬連」をつくりその指導者(美濃派高瀬連文台・初代)となりました。 縁あって宝成就寺の住職となった龍如坊は、嘉永元年(1848年)、境内に俳祖芭蕉翁を偲ぶ「しぐれ塚」を建立しました。宝成就寺はその後明治の廃仏毀釈によって廃寺となって句碑は放置されたままになっていたのを、明治の末ごろ、6代目文台遊月仙白兎が自分の菩提寺であるここ明教寺に移したといわれています。 |